公私混同の風土がもたらしたもの

元議長土地の不当買収・住民監査請求体験記

浅野 詠子(ジャーナリスト)
2014年2月6日

 古都観光の玄関口、JR奈良駅前の一角に、市民みんなの財政から法外な高値で買収した元有力市議の土地がある。長年にわたって放置され、ぺんぺん草をはやす奇怪な市有地だ。元の所有者は、90年代の奈良市政に大御所として君臨した故、浅川清一氏。議長5選を果たし、大会派を率いてきた。地方版の「政治と金」といったところだ。

 はれものに触るように、市議たちは見て見ぬふり。過去の歴代市長も、まるで他人事のように放っておいた。元職員たちはかたく口を閉ざしている。土地を買ったときの借金の利子が膨れあがり、たった224平方メートルの買収劇がもたらした損害は、およそ5億5千万円に上る。

 これはほんの序の口である。ほかにも買収の目的が不明で、背任を疑うに足りる市有地は、市内一円に点在し、損害は100億円をくだらない。西田、大川の両市政時代から引き継いだ不良資産であり、市の財政を蝕む一因になっている。

 にもかかわらず奈良市議会は、調査特別委員会(100条)を開いてこなかった。かたや、議会基本条例に盛り込んだ言葉はなかなか立派な決意が込められている。二元代表制の一翼を担う重大な責務とか、市政運営の監視であるとか、高らかな理想をうたっている。えっ?ちょっと待って下さいよと言いたくなる。

 くだんの元議長土地をめぐり、財政課が買収の起案をした日付を見ておどろいた。

 1995年1月17日。阪神淡路大震災が起きた日である。奈良市内は震度4強の揺れがあり、公共施設の破損の点検や兵庫、大阪への救援活動に市役所は大わらわの一日だった。

 よりによって年度末のこんなときに、住民から要望もなく、庁内の課題にもなっていない駐車場用地の買収を急ぐ必要があったのか。

 しかも、インターネットニュース「奈良の声」の調べにより、当初は3億5840万円で買収を起案していたものの、わずか十数日の後に、買収価格が1億円も跳ね上がっていた(2013年7月26日付)。そのうえ公文書はろくに残っていない。

 市役所の不当な土地買収をめぐり、拙著『土地開発公社が自治体を侵食する』のなかで、浅川元議長の暗躍を取り上げたのは2009年のことである。本書を読んで、事態を重くみた朝日新聞の記者Yさんは再取材し、紙面で問題提起をした。当時の大川靖則市長の自宅にも出かけ、事情を聞いている。

 「助役が勝手にやった。自分は関与していない」 そう言わんばかりの談話が出ていた。 にわかに信じがたい。

 当時の助役、故、辰野一郎氏は、93年12月、市議会の決算委員会で答弁中、くも膜下出血で倒れたのだ。県立救命救急センターに運ばれたが、意識はもどらず、翌年の暮れには助役の特別職を解職される。

 したがって、問題の土地を市の外郭団体を迂回させて買収するまでの一年余りの間、「辰野助役の空白」があり、大川氏は本当のことを言っていないのではないだろうか。市長が何も知らず、職員が勝手に4億5千万円の買い物をすることはありえない。動機がない。

 背景には、市民の目を簡単にあざむくことのできる公有地買収の制度がある。それは、一般の人の目のとどきにくい外郭団体を使って土地を買うカラクリだ。その名は土地開発公社といい、奈良市の特別法人にあたる。

 拙著で問題を提起し、朝日新聞やインターネットニュースが熱心に取り上げても、市議会は調査に及び腰だ。他の県では、たとえ数千万円の土地買収疑惑でも、調査特別委員会(百条委)を立ち上げ、関係者に聴取し、損害賠償の請求に取り組む市議会があった。奈良市のケースは、包括外部監査人が2カ年度にわたり、土地開発公社の財政浪費を厳しく警告をしても、市会は、調査を拒絶してきた。

 浅川元議長が権勢をふるっていた90年代、氏が経営するレストラン「ル・ラック」では、定例議会がおわるごとに、市の幹部と議員が打ち上げの宴会をするのが常であった。飲み食い代金の一部には公費が使われていた。しかも、自民党系の会派から共産党まで、すべての会派が打ち上げに参加していた時期があった。

 新人の議員は知らないだろうが、昔はこんな慣れ合いの風土だったのである。 市議会が元議長の問題土地の調査をやりたがらない一因には、子息の二世議員が有力会派の領袖となって力をもちはじめ、同胞意識による遠慮もはたらくのであろう。

 いよいよ本件土地をめぐる損害賠償請求の時効が迫ってきた。

 仲川げん市長は、当時の大川市長、そして元議長の相続人に当たる二世市議らに対し、損害賠償の請求に踏み切ることができるかどうか、注目される。

 先の市長選で仲川氏は「当選したあかつきには、土地開発公社問題の住民訴訟を応援する」と市民集会で宣言している。これは浅川元議長の土地を指しているのではなく、市西部の不当な山林買収について言及したのだが、不透明な土地買収が過去の市政において頻繁に行われていたことは、よく認識しているようだ。

 住民訴訟とは市長を被告にするもので、自分が訴えられた訴訟をどうやって応援するのか、理解に苦しむところもあるが、若手市長の純粋な意気込みと私は解している。

 仲川市長が諮問した弁護士ら外部の識者による「奈良市土地開発公社経営検討委員会」は2011年、本件の浅川元議長土地に対し、「市の幹部に対し、(浅川氏から)何らかの圧力があった可能性がある」とする調査結果を公表している。しかも買収する必要性が乏しく、かつ、明らかに作為的に高額に設定された買収価格の可能性を否定できないとした。

 この調査によると、土地転がしまがいのことを元議長に指南する人物が市役所にいたとみられる。

 これを裏づける文書を私は入手した。

 自治連合会長を名乗る人物が、本件土地の買収が行われた3カ月前、奈良市役所5階にある市政記者室に告発文を送っていた。そこには「助役の辰野氏が浅川氏に買収を持ちかけた」という下りがある。

 告発文の日付は1994年11月。市の再開発計画の闇にまぎれ込むようにして、浅川氏が1990年、第三者からJR奈良駅前の小さな土地を買っていたようすが生々しく出てくる。

 このように、20年余りも経た地層のなかに、今日の財政を悪化させた要因がかくれていることは多々ある。有権者、納税者への説明を決して軽んじてはならないと思う。

 わけのわからない公有地は、国内にごろごろしている。買収したものの、長年にわたって何の利用もされていない、いわゆる自治体の塩漬け土地は、総額で3兆円(土地開発公社簿価)にのぼった年もある。

 このため、多くの自治体で雪だるま式に増えていく金利の巨額な負担が、役所の財政に悪影響をもたらす。地元紙の連載記事で私は1999年、この問題を警告したものの、特段の反響はなかった。ようやく2009年、国は地方財政法を改正して時限立法を講じ、「損切り」の促進とも呼べる新しい起債「第三セクター等改革推進債」(以下、三セク債)の発行を可能にした。これを活用すれば、公社が塩漬け土地を保有したままの状態よりは、三セク債で10〜20年の返済をした方が財政の負担は多少は軽くなる。

 だからといって、必要のない土地を買いあさり、一部の地権者に不当な利得を与えた者の責任まで軽くなるわけではない。

 三セク債の発行に伴い、土地開発公社は解散の手続きが取られるが、多くの自治体は多額の債権を放棄するかたちとなる。とくに大事なことは、公社も役所も一体のものである。たとえば、人はたいてい何種類かの財布を持っているが、かたちが違うだけと思ってよい。

 三セク債を発行しようとする自治体は、その前段として、公社解散の必要性を検証し、その経緯を議会や住民に示すため、外部の委員で構成する「土地開発公社経営検討委員会」を立ち上げることになった。

 前に述べた奈良市の委員会も、その類である。同じように三セクを発行する市町村の委員会の名称はみな同じだ。それはなぜか。総務省の自治財政局長名で2008年6月、全国の知事あてに、委員会の設置を促す通知が来て、そこには「○○市土地開発公社経営検討委員会」(仮称)とあった。自治体の側が一律にその名称を採用したからだ。どこか護送船団のような借金特例のにおいがする。

 「改革」という文字のおどる三セク債の名の聞こえはよいが、何ら責任もない若い世代らが向こう20年間、尻ぬぐいの財政負担を強いられる。「あきらめてくれ」といわんばかりだ。

 奈良市の経営検討委は、本稿のテーマである元議長土地のほか、進入路のない山林、利用が難しい崖地など、奈良市内一円に点在する塩漬け土地を詳細に調査した。どれもこれも、あいた口がふさがらないというものばかりだった。一部の者たちの利得のために、血税がかすめ取られている。そう断じても過言ではない。

 これらの不透明な公有地は、何百億円という甚大な規模におよぶ。全国でも、これほど露骨な土地買いに奔走した自治体はめったにない。にもかかわらず、だれも責任を取っていないのだ。住んでいる者としては釈然としないし、倦怠感につつまれてしまう。

 しかし考えようによっては、伝え方を工夫すれば、市民が財政問題を知るきっかけにもなると思う。

 ところが、土地開発公社の解散を知らせる2012年の奈良市広報は、外部の経営検討委による最終報告書よりトーンダウンしていた。どこか官僚的な書きぶりだった。昭和40年代にさかのぼる公社の設立や意義などをダラダラとはじめれば、市民は読んでくれまい。そのうえ、塩漬け公有地の背景について、地価の下落など、経済的な要因のせいにしている下りもあった。

 未曾有の財政被害なのに、無関心層にはたらきかける努力が足りない。

 問題は風化していく。借金は20年つづく。「政治と金」をダイレクトに映す好テーマであるにもかかわらず、議会は動かない。しかも、土地開発公社に対する債権を放棄した2013年3月の時点を「損害の発生」とみるなら、住民監査請求ができる期限は、本年2014年3月でおしまいになりはしないか。それもおかしいと思うが、どだい、こういう制度は、住民が使いづらいように不親切に制度設計されているのが常である。

 私は引き続き、一書き手として、財政の悪化をもたらした正体を追いつづけ、発信していこうと思う。けれども奈良市民としての、もう一人の私が「それだけでよいのか」と突き上げてくる。

 ようやく重い腰をあげ、昨年の暮れに本件・JR奈良駅前・元議長土地買収問題について、当時の市長らに損害を賠償させるよう住民監査請求に踏み切った。

 この新しい体験は、ジャーナリズムの活動とは無縁ではなく、市民の知らない世界を浮かび上がらせることもできるだろう。

 本年1月、監査委員を前に意見陳述をする機会がめぐってきた。さっそく市民が傍聴できるよう申し入れた。一人でも多くの納税者に財政悪化の真相を知ってほしいという気持ちがあるからだ。

 それは認められなかった。これもひとつの発見だ。

 監査とは一体何だろうか。われわれ有権者がえらんだ政治を点検するものではないだろうか。 ふつうの市民が「おかしい」と感じることが、財政健全化への何よりの薬になると思う。

 市政運営の基本のひとつは、「公開と参加」であろう。それは監査委員の仕事も例外ではないはずだ。なぜ意見陳述を非公開とするのか、理由を尋ねたが、回答すらなかった。

 しかも意見陳述の時間は「30分以内で」と釘を刺された。法律や条例の根拠はあるのですか?と尋ねたが、事務方からは具体的な説明はなかった。本件土地の疑惑をめぐって、たった一人の監査請求人なのに、早く帰ってもらおうという姿勢がありありだ

 監査委員の構成は4人。弁護士、公認会計士、それと議会選出の2人である。うち市議の一人は、本件土地の売主である元議長の相続人に当たる市議と同一の保守系会派「奈良未来の会」に所属している。このことから地方自治法199条2項に基づく利害関係人に該当する恐れはないだろうか。監査を少しも手加減しないと言い切れるものか。透明性を確保するうえからも、私はこの委員の除斥を求めたが、いまだもって何の返事もない。

 さて、大川市政の時代は、奇怪な土地を買いあさるだけでなく、豪華な文化ホール建設など、過大な箱モノ建設に奔走した。そのおかげで、将来にわたる借金の重さをあらわす「将来負担比率」は、全国の中核市のなかでもワースト・ワンとかワースト・2位といった不名誉な数値で低迷している。

 これにより、福祉や教育関連の独自予算が削減に追い込まれるなど、損害を指摘すればきりがない。

 私なりに別の角度から、実害について触れてみる。たとえば、A市とB市の境界あたりに、良好な住宅地が広がっていて、一見したところでは、同じような宅地に映るとしよう。しかし、A市は将来にわたる借金の比率が非常に重く、自前の福祉、教育予算の進展がしばらくは望めそうにない。かたやB市は将来負担比率がゼロ。すると、これからの子育て世代、あるいは豊かな老後を送ろうと考えて家を建てる人々は、どちらの市を選択するか。財政の著しい悪化により、B市に隣接するA市のニュータウンが住宅消費者から敬遠されるとしたら、その不動産の価値にまったく影響しないと言い切れるだろうか。

 将来負担比率とは、夕張市の財政破たんをきっかけに、総務省があわててつくった財政指標である。粉飾300億円といわれた未曾有の財政事件だった。

 遠い北国の話とは思えない。破たんの原因のなかに、奈良市の土地開発公社の問題と類似した点があるからだ。

 夕張は、住民の目につかないところで特別会計の操作とか、外郭団体間の違法な貸し借りを行っていた。

 実はこの特別会計をめぐり、奈良市でも「宅地造成」の会計がつい最近まであり、みだりに土地を買収していたのだ。そこには再び、大御所、浅川氏の土地が登場してくる。やはり割高で買収した後、何の用途にも使われずに塩漬けになっていった。これは代替地という、とくに筋のわるい用地だ。公共事業で立ち退く人のために、その人の意思とは無関係にあらかじめ土地を用意しておくという代物。あとから何とでも理由がつけられ、不正の温床になる。

 地方自治の論客、片山善博氏が国会の記者会館で数年前、講演をした際、夕張の破たんの真相についても語っていた。市議会や監査委員がチェック機能をまるで果たしてこなかったという下りは、首を縦にふりながら聞いていた。

 さらに片山氏は、「銀行が堂々と粉飾の金を貸している。無自覚で、リスク感覚はゼロだ。市の財務諸表なんか見ていない」と金融機関の貸し手責任に言及した。

 そのうえで、前述した将来負担比率などを講じた政府の破たん法制はピントがずれていると批判。つまり「貸し手の金融機関、議会、監査委員が登場してこない。新たな財政指標はつくるが、それでだめなら国の指導に委ねるという中央集権的な制度だ。地方分権と背反する」。そう断じた。

 ますます奈良市政との共通点がみえてきた。

 信用力の低下した闇の外郭団体、土地開発公社に「これでもか」というくらい融資をつづけた市中の銀行。侵入路のない怪しげな山林における福祉施設構想、あるいは土地利用が難しい崖地での運動公園構想。こうした突飛な事業計画について、本当に実現可能性があると思って融資をしただろうか。

 大丈夫だ、市が債務保証をするのだから−。自治体の特別法人である土地開発公社は、法人としては唯一、自治体が債務を保証できる。公有地拡大法がそれを認めている。

 最後の尻ぬぐいは住民の血税でまかなえる。エリートの行員たちは、そう目論んで融資をつづけたのだろうか。

 当時の大川市政は、相乗り政治がもたらした産物であるとも言える。助役あがりの市長が代々つづいた時代だった。

 前任の西田市長が辞意をかため、助役2人を市長室に呼んだ。ひとりは大川氏、そしてもうひとりは、本件土地、JR奈良駅前議長土地問題に深くかかわったとされる辰野氏だった。市政の事情通はみな、「やり手の辰野さんが市長に指名される」と予想した。

 「えっ…?私が?」

 大川氏は絶句した。西田市長が次期市長に自分を指名したからだ。議員筋などは裏をよみ、「辰野じゃぁ、危ないよ。強引な開発をやりすぎて後ろに手がまわりかねない」ともいった。91年の初当選以来、福祉畑の長かった大川氏は、都市整備などのハード面を助役の辰野氏に任せきりだったという一面がないでもない。

 だからといって、市役所の分身である土地開発公社の不適切な土地買収に、当時の市長の責任は免れない。

 となりの生駒市では、元議長の酒井隆氏がやはり土地開発公社を悪用して必要のない土地を市(中本前市政)に買わせ、背任、あっせん収賄容疑で大阪地検の摘発を受けた。2012年、最高裁で禁固刑の実刑が確定した。

 この事件で大阪地裁判決は市長の責務について、必要のない土地を土地開発公社から買い取る債務を負担することのないよう、地方自治法、地方財政法などの法令にしたがい、誠実にその職務を執行すべき任務を有していると明言している。

 公判では、市政の実力者といわれた酒井氏が、必要のない土地や工事を強引に行わせるようすが生々しく出てきた。

 「いうことを聞かなければ決算を認定しない」

 元議長が市の幹部にこう迫る場面がある。二元代表制と呼ばれる日本特有の地方自治制度を手玉にとっていたのだ。

 全国的な規模では地方公共団体が関与した塩漬け公有地は、簿価にして2兆円とか3兆円の規模である。生駒市の事件、奈良市の未解決事案が氷山の一角であることは、想像にかたくない。

 これらの一部始終が解明されないうちは、納税者に対する説明責任を残し、政治倫理にも時効はないはずである。

 公的な記録が乏しいままでは、問題は存在しなかったも同然のおそれがある。このままでは、何も知らずに財政負債を強いられる若い世代に対し、説明が不十分であり、不誠実なことだ。

 いうまでもなく行政が道路や橋、病院、学校などの建設に伴い借金ができるのは、私たちの世代だけではまかなえきれない負担を、次の世代と分かち合うことが許されるからである。

 そうではなく、利権の具と化した公有地の買いあさりの果てに、尻ぬぐいの借金がはじまったのである。

 公使混同の風土が横たわっている。そこに安住する者たちは、個々の小さい納税者たちの姿は虫けら同然、よく見えずに平気なのである。

ホームページのトップに戻る