〈新型〉の収容主義を語る
心神喪失者等医療観察法の取材ノートから
浅野 詠子(ジャーナリスト)
2013年11月
この法律が施行されて丸8年の歳月が流れた。 精神疾患の悪化がもとで行動をコントロールできずに傷害や傷害致死、自宅放火などの行為におよび、不起訴や無罪、あるいは執行猶予つきの判決を受けた精神障害者らを拘束し、治療を強制する新しい制度である。
思えば、法案が審議された2002年の当時は、これでもか…というくらい人権上の疑問がたくさん出されていた。科学的に成しえない「再犯の予測」をもとに、精神障害者を無期限に拘束できる仕組みをめぐっては、戦前の治安維持法を引き合いに反対する医師がいた。あるいは、らい予防法になぞらえ、精神障害者への偏見をいたずらに増殖するものとして、法案を批判する弁護士もあらわれた。民主、共産、社民がはげしく法案に反対したものの、自民、公明、保守の賛成多数により2003年、成立した。強硬採決といわれた。
私の住む奈良県は2010年、近畿で初の医療観察法・専用病棟が大和郡山市内の国立病院にやって来た。あれだけ法案の段階で疑義が続出した制度である。実際はどうなっているのかと関心をもち、この2年間、取材をすすめてきた。
歩いた土地は、地元の奈良をはじめ、となりの大阪、京都、兵庫、そして日本で最初に専用病棟ができた東京へも出かけ、関係者から話を聞いた。 ある患者は、精神鑑定の結果をもとに、専用病棟に強制的に送り込まれたものの、その病棟の医師が行った診断と、鑑定した医師の診断がちがっていた。ならば、鑑定の結果によって人を拘束している以上、診断がちがうのであれば拘束できる合理性に欠けるはずだが、なぜ漫然と入院させているのだろう。医療観察法は、刑事事件の控訴にあたる仕組みがきわめて弱いことがわかった。
また、鑑定入院中に必要な医療を受けられてなかった人にも会って話を聞いた。 取材をすすめるうちに、これは「新型」の収容主義ではないかと思った。
心の調子を乱し、幻覚などに支配され、はからずも他害行為におよんだ人々が長期の入院を強いられ、「処遇終了」というお裁きが出るまで医療を選ぶことは許されていない。セカンドオピニオンも保障されていない。いうなれば、障害者の権利を制限する仕組みを強めたのに、国は「手厚い医療を実践している」と綺麗な言葉で国民に解説をしている。そこが新しい。
入院患者1人に年間2200万円をかけた高額医療は、精神科医療の分野では新しい。触法患者をケアする職員は「多種職のチーム」と呼ばれるが、医師、看護師、臨床心理士、作業療法士らで構成し、相互に対等な「水平医療」であると高らかに宣言している。最先端の医療であるとも公言している。
先月は、精神保健指定医の5年に1度の研修が大阪であり、医療観察法をテーマに、ある国立病院の院長が講義をしていた。会場にいた医師の一人に配布資料をもらったら、レジュメの冒頭で「これは新しい協働制度だ」と説明していた。
いうまでもなく、協働とは、まちづくりの原理を追求した考え方である。特定の人間を街から排除することに熱心な医療観察制度の説明につかうのは不適切だと思う。障害者の参加のない協働などありえない。はやりの言葉を使っても、制度の本質を伝えてはいない。せいぜい、医療と司法のコラボという次元であろう。
このたびの取材で私は、いろいろな関係者に聞き取りをしてきた。 精神疾患が悪化して善悪の判断に支障をきたし、同居する家族を傷つけてしまったうつ病患者にも会った。この人は、劣悪な環境の鑑定入院を強いられ、ずいぶん苦しんだ。また、自宅の放火容疑により医療観察法の申し立てを受けた統合失調症の患者を取材したが、失火だった疑いも残る。ある病棟には、発達障害の若者が長く入院していたが、家族の話では、この障害の特性などから治療のプログラムがあわずにストレスが高まり、一刻も早く地域社会にもどしてほしいと訴えていた。
このほか、精神鑑定をした医師、制度を推進する専用病棟の院長、指定通院医療機関の医師、付添人の弁護士、審判医、参与員のソーシャルワーカー、社会復帰調整官、処遇終了者らをむかえる福祉関係者などの声もひろった。
もうひとつの取材のツールは、公文書の情報公開請求である。 情報公開は、お役所のお知らせや公表を読むのとはちがう。加工されていない原情報をわれわれ有権者が主体的に読み取るのだ。
医療観察法ができる前にも、地元紙の記者時代、公開制度を活用し、国立松籟荘病院(現、やまと精神医療センター)が定員を超えた患者を収容しているとか、隔離の記録に不備があるとか、消防法によるガス漏れ警報器の未設置で行政指導を受けていたなどの事実をつかみ、報じたことがある。精神保健福祉法の指導事項は県庁に、消防法の改善命令は市役所に公開請求すれば、だれにでも記録は開示される。
一方、医療観察法の専用病棟は、地方厚生局が監督するので、身内の、あるいはグループ企業間のような甘い指導にならないかと案じている。 いや、そんなことありませんよと国はいうだろう。外部評価会議を毎年ひらき、透明性、公開性を担保していると胸を張っている。
ならば、どんな会議をしているのかと私は、医療観察法の専用病棟を有する全国28箇所の国立、都立、県立の医療機関に2カ年度分の会議録を情報公開請求してみた。
ふたを開けてみれば、ゆるい評価だと思った。委員は弁護士とか、地元の医学部の教授とかお歴々が参集する。外部評価というからには、医療観察法の争点をすすんで発見し、国民に公表してしかるべきである。しかし総じて、外部の委員は制度の応援団のように映る。
いまの安倍政権のような右寄りの政治がつづけば、あすにも医療観察法を廃止するなどという展開は到底ありえず、患者さんたちが解放されるまで、長い闘いになるのかもしれない。が、せめて外部評価の委員に公募の市民らが入り、健全な市民感覚で人権状況を監視するのがよいと思う。
このところ医療観察法の病棟では、新薬のクロザピンがよく話題になる。 法が施行された4年後の2009年に承認された。たとえば、国立琉球病院のホームページは、クロザピンは「最後の切り札」と呼び、「今まで複数の抗精神病薬による治療を受けてきたにもかかわらず、症状が十分に良くならなかった統合失調症の患者さんに対して、効果があることが世界で唯一認められた薬です」と紹介している。
国内での治験症例は限られ、重い副作用が確認されているため、登録された190の医療機関のみで処方が可能な新薬だ(2012年度)。治験薬と同様、「全例報告」というかたちがとられている。
医療観察法の病棟における新薬クロザピンの投与について厚労省は、外部の委員を迎えた倫理会議で事前にはかってから処方するよう、通知を出している。
だが、治療が先行し、事後報告になるケースはめずらしくない。また、倫理会議そのものを適切に開かず、地方厚生局の指導を受けていた事例も前年度、二、三件あった。人を拘束し、同意のない治療をしているという緊張感が乏しいのではないか。
新薬クロザピンを用いた治療の状況は、開示された会議録から、おぼろげながら見えてきた。血球減少などの副作用の対策として、血液内科等の外部の医療機関との連携が不可欠だという。しかし、各県で対応できる医療機関はかぎられている。医療観察法の病棟を退院し、帰住先が山間部などの過疎地にある患者さんに対し、通院命令中にクロザピンの投与が継続される場合は、通院時間が非常に長くなる。患者の負担は大きい。強制的な通院なのに、交通費の公費助成はない。使用を疑問視する医師もいる。
医療観察法にまつわる公文書の公開度は総じて、自治体の病棟の方が高い。たとえば国立の花巻病院などは、クロザピンの処方で連携している外部の2つの病院ですら、わざわざ黒塗りにしている。それに国立病院の会議録は、外部の委員の氏名すら公開しない。
そもそも情報公開の制度は、自治体が国に先駆けて実践しており、できて当たり前である。むしろ、精神障害者の自由を制限する新しい制度において、「知る権利」の格差を放置したまま、国が制度をスタートしたことが問題だ。
そして、いくら公開制度の運用で自治体がマシだといったところで、公選の知事のもと、府県立の病院が治安の下請けのような医療観察法病棟を率先して引き受けるのは疑問である。
先般も、滋賀県が医療観察法病棟23床を設け、内覧会に行ってきた。中身をよく知らずに来ていた住民もいたが、説明する職員は、重装備によるセキュリティ面をたびたび強調するのには閉口した。
嘉田知事は市民派として知られ、環境問題にもくわしいが、精神保健福祉について自分の哲学をもっているのかどうか。嘉田さんだけでなく、国会議員はもとより、市民派を標榜する市町村議や県議、首長のほとんどが精神保健福祉について、よく知らないと思う。
それは私自身もそうだったが、学校などでほとんど学ぶ機会がなかった。一概に政治家ばかりを責められない。奈良県の家族会をけん引してきた小林時治さんは、地元の教育委員会に対し、学校や、あるいは生涯学習などの場で精神保健福祉を身近な問題として学ぶ機会を設けてくださいと、何度かけあってきたかしれない。のれんに腕押し、日暮れて道遠し…と小林さんもらしていた。
政治家や市民は精神障害者のことをよく知らない。しかし自治体などの労働組合によっては、2002年、医療観察法案が出されたとき、反対運動を理論的に繰り広げた体験をもっている。知事の言葉足らずな側面を補い、市民に問題点を発信することだってできると思う。なのに、医療観察法の病棟建設を不問にしてしまえば、推進者にとって、これほど頼もしい存在はないだろう。
政党、労組はあのときの反対運動を忘れてほしくない。 希望のない話ばかりになってきたが、このごろ、大阪や奈良などで、イタリアのフランコ・バザーリア(1924-1980年)の半生を描いた映画『むかしMattoの町があった』が上映され、なかなかの反響である。知る人ぞ知る、精神病院の廃止運動の先頭に立った精神科医である。
バザーリア派の人々の運動は、司法精神病院の廃止も重視してきた。日本でいう、医療観察法病棟である。おひざもとのトリエステでは、触法患者を極力、司法精神病院に送らず、地域福祉と地域医療、市民らとの連携により、こうした患者がまちで暮らす実践をしてきたと聞く。
これからも国内の各地でバザーリアの映画は上映されるだろう。この機に、ほとんど国民に知られていない医療観察法の問題が、知られるきっかけが生まれればよいと思う。
映画の一場面が印象に残る。精神病院をなくす運動のさなか、入院処遇から解放され、久々に自宅に帰ってきた患者が妻に冷たくあしらわれ、けんかになり、階段付近でもみあっているうちに、妻が落下して死んでしまう。しかし精神病院の廃止運動は挫折することはなかった。
この場面が日本なら、医療観察法の申し立てがなされ、患者の地域生活や主治医との関係が中断される。遠くの専用病棟に送られてしまうかもしれない。
さて、施行から8年が過ぎると、法案の段階では想定外だったさまざまなことが起きている。 池田小事件を引き金に、政府が法案を出してきたときは、一体どのような人が拘束されるのか、どんな病棟ができるのか、私はそちらの方にばかり注目していた。(※法令上、専用病棟には宅間守のように反社会人格障害などと診断された通り魔は入院させない。大半が統合失調症患者で初犯、再犯率も低い人々で、被害者の多くは同居する家族)
ところが制度が始まり、3年、4年、5年が過ぎ、ときの経過とともに、「通院処遇」にある人たちの自殺が相次いでいることが判明した。拘束された入院患者より、自由な身である通院命令中の多くが命を絶ってしまったのはなぜか。
医療観察法病棟の自殺問題を最初に取り上げたのは、関西の高見元博さんたちのグループだと思う。自衛隊で上司のいじめに遭っていた自衛官の精神症状が悪化し、通行人をけがさせてしまう。それがもとで彼は佐賀の医療観察法病棟に送られる。遺族などの訴えでは、基地内でのいじめは深刻であったにもかかわらず、病棟では内省を強いられる。早く出たくて、スタッフに合わせていたのだろうか。やがて回復してきたと見なされ、退院をまじかにした患者たちが入る「社会復帰期」の病棟に彼はまわされる。しかし外出訓練中、付き添いの看護師2人の監視をすり抜けて逃走、所属していた自衛隊基地のある神奈川県内で列車に飛び込み、命を絶ってしまう。
2010年には、医療観察法の運用状況が国会に報告されたが、この数字を見て、「おかしい」と気づいた人々がいた。そこには、「処遇終了」といって、医療の強制から釈放される人々の数字が出ていたが、正規の裁判所の決定によらない処遇終了者がいることを発見したのだ。消えた人がいる。病棟で、あるいは通院命令中に命を絶った人であり、侮れない数字だった。
この問題は、東京新聞でも大きく報道されている。ことしは2013年で、あれから3年も経っている。当然、国は、自殺問題を取り上げ、何らかの検討をしているものとばかり私は思っていた。法は患者の社会復帰を目的にかかげており、自殺者を出してしまうのは、最大級の失敗にあたると思うからだ。
そこで私は、法務省、厚労省に自殺について公文書を本年、情報公開請求した。だが、「ない」という。つまり文書不存在であった。担当官は、口頭で自殺件数を明らかにしたいと言ってきた。
それにしても、法務省の担当官がいう「通院処遇中の自殺28件」という数字は、にわかに信じがたがった。活字になってから、言った、言わないの話になってもめんどうだ。そこで、私の電子メールあてに回答してもらった。
「通院処遇中に自殺したと推定されるもの 28件(平成17年7月15日から同25年3月31日までの数)」 この数字と、厚労省のいう入院中の自殺8人を足して、施行後に36人もの患者が命を絶っていたことが判明した。
緊急の調査が必要である。ある研究者は、人出をかけたデラックスな入院医療がおわって通院処遇に切り替わった途端、患者は環境の激変にとまどい、不安感をつのらせたのではないかとも推察する。
鑑定入院、専用病棟の入院、専用病棟間の転院、通院と、主治医がめまぐるしく変わる「ぶつ切り医療」の犠牲者だったかもしれない。病棟で内省を強いたこととも関係はないのだろうか。(これについての異論は刊行予定の単行本に掲載する)
ところで最近、気になる事例をキャッチした。医療観察法をめぐり、国が東京地裁の審判医(裁判官と合議で入院命令などの処遇を決める人)にヒアリングした記録を公開請求したら、以下のようなことがわかったのだ。
ある精神障害者が他害行為の容疑で法の対象になったのだが、当人は強制入院も強制通院もいやだと主張した。当然だろう。しかし親族は入院してくれることを望んだ。
処遇をめぐり当事者と親族の希望が異なるケースは、私も西日本で取材している。ところが、当事者の権利を擁護するはずの付添人の弁護士が、親族の側についてしまい、いっしょになって強制入院に加担したようだ。
東京といっても広いし、離島もある。グループホームなどの福祉資源が乏しい地域なのだろうか。 こういう付添人では心もとない。第一、容疑の事実が本当なのか。付添人の任務は、その検証からはじまるといわれる。取り調べの段階において不利なことの多い精神障害者の人権擁護は、通常の刑事事件の弁護より難しいとされる。付添人の機能はあらためて問われそうである。
医療観察法について市民、マスコミの関心はきわめて低く、忘れられた800床になりつつある。それでも、ある看護師は、医療観察法につながれた人々の人権状況を監視しようと、専用病棟への就職を志願したと聞く。患者の解放、よりよい社会復帰に惜しみない努力を注ぐ人もいるだろう。
施行された以上は、医療観察法の内側から批判的にかかわる人がいなければ、公益通報も内部告発も行われない。 法律が冠する「心神喪失」という刑法用語に対し、私は素人なりに違和感をもっている。人間の格を下げたような印象があるし、アメリカの州によっては、心神喪失という概念そのものがないという。触法患者の責任能力の判定は、竹を割ったような正解が得られるものではない。さらに、法律の名前になっている「重大な他害行為」というレッテルが、どれほど精神障害者の社会参加にダメージが大きいものか、はかりしれない。
精神科の治療は定説がないといわれる。医師ごとに異なる診断名に翻弄されてきた家族は「精神医学は発展途上」と実感を込めて話す。薬害を告発する人も後を絶たない。厳罰化、保守化の潮流のなかで、医療観察法はこれからも閉鎖の病床数を増やしていく。不確実な医療の強制に公費を傾注するのでなく、色々な人たちが青空をあおいで街で暮らせるよう、地域福祉、地域医療の拡充に向けて国家予算を組みなおした方がよいと思う。
(「医療観察法廃止!11.24全国集会」の講演内容を加筆し、まとめた)