もう一度読んだ、本田靖春の『誘拐』
地方紙を退社しフリーになって三年数カ月が過ぎた。三冊目の単行本が発売されて一息ついたところで、一年生記者のときに読んだ『誘拐』をもう一度読んでみようという気になった。次作も、版元があらわれてくれるとよいが、犯罪に関連するテーマであり、まずは走り出そうとする自分を叱咤激励しようと、あこがれの本田靖春の本に手が伸びた。『誘拐』は、ある幼児殺人事件の全容をとらえるべく徹底取材し、わかりやすい言葉で書かれたノンフィクションの傑作である。このたびは二度目の読破となったのだが、最初に手にした二十数年前のころとは比べものにならないほど、学びがいを感じている。それは、事件の全容をとらえる、という著者のねばり強い取材姿勢を、時間だけはつくることのできるフリーのわが身に課してみたいからだ。
年少者が犠牲になった凶悪事件については、1997年に発生した月ケ瀬村(現、奈良市)女子中学生略取殺害事件、2004年にやはり地元で起きた奈良市小一女児誘拐殺害の関連取材で、少しかかわる機会があった。いずれも、地域を重苦しい防犯一色にぬりたてた残忍な事件であるが、全容をとらえた書物をまだ知らない。当時、組織の記者であった私は、犯人が逮捕されてしまえば、さっさと違うテーマの取材に取りかかっており、それで気がとがめるということもなかった。
月ケ瀬の事件は、現場の応援取材をしたが、容疑者逮捕までのおよそ一カ月余り、その一家が二十四時間、マスコミの監視におかれていたことなどから、人権派の論客、吉田智弥さんが「報道と人権」というテーマのシンポジウムを企画し、パネラーとして登壇するよう気の重い役割を要請された。弁護人は犯人の成育環境を重く見て、古い村で疎外されがちだった犯人一家の事情などに言及していた。しかし容疑者は刑が確定した後、服役中に自殺してしまい、犯行の動機がほとんど不明なまま、事件は風化しようとしている。もう私自身、すっかり忘れていた。
その事件から十四年。奇しくも、いま手にしている本田靖春の『誘拐』も、事件から十四年を経た1977年に「文藝春秋」で連載されている。日本中を震撼させた吉展ちゃん誘拐事件を題材に、犯人の不幸な生い立ち、警察の取り逃がし、自供、死刑執行に至るまでの多面的な事実がこれでもかと掘り起こされていく。
著者の本田靖春は十六年間、読売新聞の記者を務め、フリーの道をえらぶのだが、「再出発にあたって自分に課した宿題が、時間にとらわれずに納得がいくまで取材を尽くし、そうして得たファクトをたっぷりしたスペースの中で丹念に積み上げて、一つの事件の全体像を描いてみたい、ということであった」と『誘拐』の文庫版化(文春文庫、1981年 ※)によるあとがきで書いている。
座右の銘にしたい言葉だが、社会問題を正面から扱ったような本をフリーの記者が出すのはなかなか厳しい。本書のように綿密な取材と執筆に一年三カ月をかけ、世に出すことのできた背景には、文藝春秋のある人物との幸運な出会いがあり、月刊誌などの原稿料もよかったようだ。著者の絶筆となった『我、拗ね者として生涯を閉ず』(講談社)にそんな話が出てくる。たぶん『誘拐』の刊行後、本田は文藝春秋とたもとをわかつようなことになり、フリーの人生は決して順風満帆なことばかりではなくなる。フリーでやっていくということは、家族を飢えさせることだとも書いていた。日本でジャーナリストといえば、新聞社などを定年退職したゆとりのある人が連想され、若手、中堅どころの発表の舞台は少ない。とはいえ、清水の舞台から飛び降りてしまった私は、茨の道をすすむしかない。少し話が脱線したが、もともと本書をもう一度読もうとした動機が新しいスタートラインの景気づけみたいなものである。
『誘拐』を読みつつ、先にふれた奈良の小一女児誘拐殺害事件が時々脳裏に浮かんだ。殺人者の小林薫の死刑判決が出る前、弁護人は、減刑ねらいのような安易な精神鑑定には見向きもしておらず、そこに私は注目した。弁護人が重視したのは情状鑑定であり、決して恵まれたとは言えない小林の生い立ちを一から追跡調査し、分析するその鑑定の採用を奈良地裁に求め、実施されている。その関連で、97年に死刑が執行された連続強盗射殺事件の永山則夫死刑囚の精神鑑定書には、「情状鑑定の重要な手法が駆使されている」と弁護人は話し、100ページほどの克明な永山の本人歴を見せてくれた。
そんな取材体験から、吉展ちゃん事件の犯人、小原保の成育環境をじっくりと取材した『誘拐』には、情状鑑定書に近いくだりがあるのではと感じられた。小原が生を受けた東北の寒村は精緻に描写され、抑制のきいた著者一流の筆により、耕作の悪条件が重なって人々が貧窮に泣かされてきたようすがよく伝わってくる。犬さえ食用になるともうわさされ、町場の者たちはまるで別種の人間を語るような口ぶりで小原の地域の人々をさげすんだという。当地の子どもたちは満足な靴も与えられず、冬場のあかぎれはつきものであったが、小原は、小学四年生のときに放置したあかぎれにばい菌が入り、化膿して足に重い障害が残ってしまう。「学校の行き帰りに、友達がぼくの真似をして…」と小原は回想する。その陰惨な場面を読むと、小林薫死刑囚が負っていた障害やいじめがやはり思い出される。幼少時に負わされた体験と殺意とを単純に結びつけることはできないが、『誘拐』は、矛盾や格差に満ちた人間社会をあらためて浮き彫りにしている。犯罪に借金はつきものであるが、犯行の引き金になった小原の借金にしても、現代のサラ金地獄などの様相からすれば、かなりの低額であるし、追いつめられた果ての悲劇が大きすぎる。
『誘拐』のもうひとつの価値は、犯人が処刑されるまでの経緯にくわしく、死刑制度を考えるうえでの材料にこと欠かない。別名「落としの八兵衛」こと名刑事、平塚八兵衛の取り調べにより、小原は犯行を自供するのだが、以後はまるでつきものが落ちたように、素直でまじめな青年に立ち返る。深く反省し、死刑判決にも抵抗しなかった。生まれ変わったら刑事になって社会正義に尽くしたい。こんなことさえ語ったという。獄中で文学の才が開花した小原は、見事な短歌をたくさん詠んでいる。死刑を受け止めようとしている本人を説得し、控訴の手続きをとった小松弁護士はいう。「被告が深く反省している事情を認めながら、あえて死刑にするのは、被告のあやまちを改め、善導するという刑罰の目的を逸脱するばかりでなく、死刑制度の乱用であり、残酷な刑罰を禁止した憲法の精神にも反する」と。しかし控訴審はかなりのスピード裁判となり、あっけなく控訴は棄却され、ほどなく死刑が確定した。
誘拐殺人の発生から犯人逮捕までは二年三カ月の空白があった。お蔵入りになりかけた事件ではあったが、後任として登場する平塚八兵衛は、基礎の捜査から徹底して出直し、先入観をとりはらって一からの調べに臨む場面があり、調査報道の末席にいた者として、何度か感心させられた。小規模な地方紙とはいえ、私もかつては新聞記者のはしくれで、現場百遍という刑事の言葉にあこがれたものだ。これからは、どんなテーマにおいても、偏見や先入観にとらわれないやわらかいこころをもって取材をすすめたいと素直な気持ちにさせられた。それもひとえに、本田靖春が平塚八兵衛の人間味によく迫り、ていねいに取材し、真実を描き込んでいるからである。
(2011年11月 浅野 詠子)
※ 現在はちくま文庫から発売されている。