世界遺産と治水ダム

         

浅野詠子    

 「古都奈良の文化財」が世界遺産リストに登録されてから、十年の歳月が流れた。
 登録への道のりを振り返れば、奈良市の文化財行政は、さして県の力に頼ることもなく、いわば〈単独申請〉のかたちで動き、実現したのだと思う。あのころ市がこしらえた遺産解説のパンフレットは、派手さも押しつけがましさもなく、大陸から学び深められた文化交流の証拠たる価値がよく伝わってきた。登録を記念して講演した文化庁の管理職も「よくできている」と評していた。
 遺産リストに登録された名刹を指折り数えていくと、高畑町の新薬師寺がなぜか入っていない。天平文化の粋を伝える本堂はもとより、円陣を組む十二神将像ともども国宝だ。立地は春日山のふもとの市街化調整区域にあり、風致も第三種に指定されている。保全にはまずまずの環境といえる。
 しかし遺産の登録に向けた実務的な作業になると、厳格な線引きのルールを決めて進められた。境内に国宝の建造物があるだけでなく、敷地が国の史跡に指定されていることを登録の要件としたのである。したがって、新薬師寺だけでなく、往時に大伽藍を誇った大安寺や西大寺の登録も見送られたという訳だ。
 こうした経緯から、世界遺産か否かという価値にあまり拘泥しすぎることなく、市域に残された大和の原風景たる雰囲気の継承に努めていきたいものである。大切なのは、遺産を直接保護するために線引きをした市内の「緩衝地帯」(バッファゾーン)のあり方であり、高さ規制や広告物の制限などの経済的課題といかに折り合いをつけていくかが試されている。
 遺産を構成する春日山原始林の「緩衝地帯」において、県営の岩井川治水ダム建設に伴う付け替え県道の一部が計画されていることを2001年に知り、奈良新聞の記者をしていた私は、かなりの行数をさいて批判的な報道をした。せっかく遺産を保護する原則をつくったのだから、もっと深い論議が展開されてよいと考えた。しかも、ダム建設は、一部の人しか知らないうちに具体的な計画が練られ、工事は進んだ。県議が経営する浅川組などの地元企業が談合に関与した疑いがきわめて強い入札もあった。
 調べていくうちに、総合治水や遺産保護の観点から、高円山のふもとに高コストの治水ダムを建設すること自体に疑問が出てきた。当時、県の土木事務所や市町村は、国土交通省の補助金を利用して、ため池を掘り下げ、大和川水系の治水容量を高める工事を行っており、こうした総合治水の諸施策を追求することで岩井川ダムを回避できないものか、私は検証を始めた。
 岩井川の流域を歩くと、眠れる地域資源が満々と雨水を湛えている。まさに大和の原風景だ。行政経営上は、ため池を掘り下げる工事はコストがかかるので、池の治水容量を高めるには、水利組合の協力を得て水位を調整する方式がよいと思われる。また、市民も雨水を貯留し、庭木の散水や自動車の洗車などに再利用すれば、治水施策にかなりの協力ができる。現にお隣の大和郡山市では、雨水貯留タンクを設置した世帯に助成金を出しているのだ。
 こうして私は、春日山原始林の真ん前のダムに呻吟し、対抗し得る建設的な代案を探って報道してきたが、建設は着々と進むばかりだった。己の小ささを知ると同時に、だれも取り上げないテーマを独りで挑戦することの楽しさも知った。
 では、遺産の登録に尽力した奈良市は、当事者として一体どう考えているのか。県の工事に対し、是正の要求をすることが筋ではないだろうか。市の幹部(当時)に対し私は「遺産のバッファゾーンを無視した治水ダムは問題がある」と投げかけてみたが、「上流で水を貯めてくれるのはありがたいことだ」と返されて、のれんに腕押し。県政とは波風を立てたくないという市の意識が伝わってきた。
 万葉の地に建設されたこのダムをめぐり、文化人と呼ばれる人からの特段の抗議はなかった。明日香村内の治水ダムは中止されたが、奈良市内なら構わないということなのか。もし仮に、文化人の権威というものがあるのなら、こういうときにこそ、遺産を取り巻く公的な開発に対して厳しい意見を発してもらいたいと思う。
 遺産登録から十年。この間に地方分権を促す法令が整備され、時代は転換期であろう。これからは文化財行政の分野においても、市町村が主体的にかかわることがいっそう求められよう。分権社会を支えていく補完性や協働の論理というものは、身近な遺産や史跡の保全においても有効であるという実例を拾い上げていきたい。
                            

(2009年8月/フリージャーナリスト)


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