<大阪市立自然史博物館訪問記>

大和川は意外に豊かだ
―市民と突き止めた生物多様性



                                              

浅野 詠子

●150人の市民が調査活動

 全国の河川の中で「水質ワーストワン」という残念な結果が毎年のように指摘される大和川。それゆえ、この河川にまつわる人々の印象はとかく固定的になりがちだ。「きたない」と一言でくくり捨てられがちな身近な河川を見つめ直し、大阪市立自然史博物館が5年がかりで綿密な調査したところ、驚くほど多様な動植物の営みが分かってきた。奈良県の源流域から大阪湾の河口まで、あらゆる支流と本流を網羅した空前とも言うべき調査が繰り広げられ、データを満載した生物分布図が作成された。最上流の飛鳥川には、ハサミにたくさんの毛がはえたモクズガニが見つかり、本流では清流のシンボル・アユの天然遡上も確認された。真冬の河口には3000羽を超えるカモメ類が飛来し、ボラやメナダが泳ぎ回る。
 「きたない川にもこんなにいるで」―。学芸員16人と共に丹念な調査に携わったのは、約150人もの大阪市民だ。博物館の呼び掛けに対し、小学生からお年寄りまでの多世代の人々が素朴な好奇心を胸に集まってきた。ホタル班、魚班、哺乳類班、貝班、鳥班、植物班、水質班など14の班を構成し、02年から調査をスタート。個体数の観察や行動の記録、標本作り、採水などの地道な活動が積み重ねられ、06年開催の特別展「大和川の自然」において結実した。自治体の博物館が市民参加のスタイルで重厚な展示を成し遂げた好例であり、学術的な成果も得られた。
 「この過程で蓄積された市民参加型博物館の新たなノウハウは、無形の資料として今後の博物館の事業に引き継がれていくだろう」と山西良平館長は語る。


●自然史博物館の先駆け

 この博物館の歴史は結構古い。太平洋戦争終結5年後の1950年、大阪市西区の廃校舎を利用して市自然科学博物館の名称で開館した。学芸員は、動植物や地学分野の数人という小規模のスタッフであったが、「自然史」に着眼した研究と展示は、全国の自治体博物館の先例と言える。敗戦後ほどない物資の乏しい時代であったが、市民が身近な自然に親しみ、みんなで掘り下げるという方針を大切にしてきた。市街地の自然が地域資源として見直されるような風潮はつい最近のことであり、一見して地味な博物館がよく存続してきたと思われる。
 60年代後半になると、大気汚染などの公害が深刻化し、これが契機となって「自然史科学」を深く掘り下げる本格的な博物館が構想された。74年、現在の東住吉区長居公園の地に移転し、施設規模を拡大して市立自然史博物館として新たなスタートを切った。地域自然史展示としてはこれまで和泉山脈をはじめ、摂津、河内平野、大阪湾、淀川、琵琶湖などを取り上げている。毎年の特別展は、博物館の調査研究や資料収集活動の成果を市民に伝える良い機会である。
 市民150人と取り組んだ大和川の展示は、35回目の特別展に当たった。会場では、動植物の分布図におけるぼう大な分布点の中から一つを指差し、「私が見つけた点だ」と無邪気な歓声を上げる人もいた。


 ●遠回りをして良かった

 奈良公園きっての景勝地である飛火野や特別天然記念物の春日山原始林(世界遺産)も大和川の源流であるが、そうした視点で顧みられることはあまりない。そうかといえば、緩やかな丘陵地に広がる名もない水田や水路も水源地である。その素顔はあまりにも多様だ。
 源流から大阪湾の河口まで70キロ。源流域の山地率は低く、奈良盆地の降雨量は少ない上、延々と住宅密集地を流れる大和川。水質データを測定すれば不利な条件に幾重にも囲まれており、他県の河川と一律に比較するだけでは展望は開けない。
 「ワーストワンと指摘されるのは、あくまで水質に限ってのこと。河原にやってくる鳥や生息する昆虫など、ある意味で水質の影響を受けていない地点、それも含めて今回の大和川調査の範囲であり、私たちは本当にすみずみまで歩いた」と学芸員の中条武司さんは語る。動植物によっては、水質以外の条件の方が生息に重要だということもあるのだ。
 現地調査員を勤めた市民たちは、身近な河川に関心はあるが特別な専門領域ではないという人がほとんど。役割を分担して各自が4、5年にわたる観察を続けた。学芸員は総力を挙げて事前の研修を充実させ、これに基づいて市民が自発的に現地調査する手法は新しい。
 プロの集団だけで調査研究をした方が効率性や効果性が高いと指摘する意見はあるだろう。水辺の動植物調査なら、民間企業に外注した方が安上がりと考える自治体も多いはずだ。事実、150人もの市民が調査に参加するとなると、「パソコンが操作できない」という人が必ず現われる。連絡事項の方法ひとつとっても、参加者に応じて郵送であったり、電子メールであったりと気長なつき合いが必要になってくる。
 市民も根気よく観察した。体長がわずか数ミリという微小な甲虫類のヒメドロムシを採取するときは白い布を用い、人々は水につかって奮闘。沿道の住民から見れば不思議な光景であり、「何をしているのですか」と何度も聞かれたという。調査に加わったある小学生は、自分たちはきっと「変な人たちだな」と思われているのだと感じもしたが、言葉では言い尽くせぬ充実感が報告書から伝わってくる。日を追うごとに河川環境を見る市民の目が養われていったようだ。
 遠回りをして良かった。これがスタッフ一同の率直な思いではないだろうか。
 学術的に貴重な成果も次々と現われた。日本一小さなネズミで、500円玉くらいの重さしかないカヤネズミの生態に深く迫ったことも成果の一つだ。一級河川の支流、本流を網羅したカヤネズミ調査は全国で初めてという。草の上に球状の巣をつくり、その中で子育てをするようすはどんなに愛くるしいかと想像するが、開発などの影響で生息地は確実に減っており、個体数は減少していると博物館は警告する。
 この特別展では、面白いことに大和川水系における日本酒醸造の蔵元の分布図までがお目見えした。奈良盆地に点在する優れた蔵元は、地場産品振興や観光面から論じることが常であるが、「生き物が造り出す産物」としての日本酒がクローズアップされた。断層の割れ目を通って地下深く浸透してきた良質な地下水が奈良盆地の多くの日本酒醸造につながった可能性を学芸員の波戸岡清峰さんが論考している。


 ●上流域自治体には外部監査に匹敵

 近世の付け替え大工事をはじめ、もっとさかのぼれば平城京造営に伴う河道の直線化など、昔から人の手がよく加えられてきた大和川。鉄道開通までは奈良盆地の水運を担い、農業との関係も深いが、今日の自治体との関係においては、治水施策の対象としての側面が大きい。そうした中で大阪市立自然史博物館が取り組んだ大和川の調査は、「都市を通る緑地帯」としての現代的な価値を認識させるものである。一連の成果は昨年、東海大学出版会から刊行された。地球の有限性という視点においても有意義である。
 真摯な調査だけに、上流の奈良県側には厳しい指摘もなされた。古歌に名高い飛鳥川であるが、近年の河川改修工事によって直線化した流路があり、増水したときに生き物の逃げ場がなくなって土砂が激しく異動するという指摘。水系に数多くある農業用のえん堤が生き物の行き来を阻害し、繁殖や成長の場が失われていること。家庭の排水が川に直接流れ込んで水質に深刻な影響を及ぼしている地点がある等々。所管する担当者には耳の痛い話かもしれないが、納税者の目線で眺めると、無料で外部監査をやってくれたような良い提言ばかりだ。
 公害を契機に残された身近な自然に着眼し、活動が本格化した自然史博物館。「大阪には世界遺産のようなお墨付きの自然はなくても、自転車で10分も行けば大和川という自然に出合えるのだと市民が実感した。これこそが環境問題と向き合う大切な方法論だ」と学芸員の中条さん。
 一連の活動の成果は、こんどは淀川に引き継がれた。「新企画は胎動している」と山西館長は力を込めた。

   (初出:2008年3月『地域政策 三重から』=三重県発行)

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