地域資源学の応用問題
―ため池の活用と保存を考える




                                      

浅野 詠子

                               政治学概論・特別講義
=奈良教育大学=
                                     2008年1月


                                                 

 ■大和の原風景

 本日は、ため池という奈良の地域資源について現代的な価値から光を当て、新たな活用を探り、保全への道筋を考えていきたいと思います。
 私は神奈川県の生まれで、大学卒業までおりましたから、海辺が身近な存在でした。奈良に来て20年余り仕事をしていますが、ため池のような水辺の空間に出合うとほっと心がなごみ、安らぎを感じます。さして水が澄んでいないところもまた魅力で、淀みをのぞき「何が棲んでいるのだろう」と童心に帰ります。水鳥が浮かんでいる光景などは本当によいものです。
 ため池とは一体何でしょう。日照りという奈良の風土に苦しむ人々が灌漑施設として造ったものですね。いわば、地域ぐるみで水資源を共同管理してきた遺産であるとも言えます。大阪府の狭山池博物館などにお出掛になれば、まさに農業土木の遺産であることを実感されるでしょう。
 現代的な価値を探る上で着目したいことがいくつかあります。まずは私たちに課せられている資源の有限性への対策、つまり環境問題の視点から、ため池を生かして持続可能な治水対策などの公共事業を推進できないだろうかという提案です。同時に、心の安らぎを感じる水辺の空間なので、積極的に保全して、もっとまちづくりに生かせないものかと思います。協働のうねりとともに、利用の価値を高めていきたいものです。
 ため池はとても多機能であり、公益性が高い存在であります。ひとつは農業用水を確保するための利水機能。奈良盆地には江戸時代に築造された池が多く、いわば利水目的の小さなダムがあちこちに存在していました。もちろん、いまでも現役の灌漑施設として稼動しているものが相当あります。
 もうひとつは治水機能であり、とても重要です。奈良県は大和川の上流域において、万葉集に詠まれた飛鳥川や佐保川をはじめ、初瀬川、葛城川、率川など色々な河川がありますが、特徴を挙げれば、水量の落差が著しいことです。晴天の日はさして水量は多くないが、一度雨が降ると、たちまち水かさが増す傾向にあります。そうした状況においては、流域のため池で一時的に降雨を貯留することが洪水対策に効果的です。
 3点目には防火機能。火災時にポンプ車が直接池から給水して消火作業に当たり、延焼をくいとめた事例がいくつかあります。消火栓の欠点を補っていると言えます。4点目は、景観形成機能とでもいいましょうか。田畑に囲まれて満々と水を貯えた池は、大和の原風景とでも呼びたくなります。古社寺や歌枕といった奈良らしい景観の中にため池は溶け込んでいるのです。
 そして5点目は今日的な用語になりますが、生物多用性に貢献する機能。ため池は色々な動植物が棲むことのできる場所であり、水鳥が芦辺で営巣をしたり、魚類が産卵をするなど、さまざまな営みが観察できます。
 さらに、ため池のほとりにたたずんでいると、何とはなしに気持ちがよくてリフレッシュできる。心が休まるという保健機能であり、6点目の機能として挙げてよいでしょう。
 どうです。一つの池でこんなに機能があるのですよ。さかのぼれば、日本書紀にも築造の記録が出てきます。近鉄のあやめ池駅の近くに蛙股池(かえるまたいけ)という大きな美しい池がありますが、それはたぶん、西暦607年に築造された菅原池ではないかと伝えられています。JR帯解駅前の広大寺池は、書紀に出てくる和邇池(わにいけ)ではないかという指摘もあります。奈良といえば古代の木造建造物が遺産を代表しますが、ため池の歴史をたどれば、なかなかの土木遺産ですね。これで7つ目の機能になり、つまり豊かな歴史遺産がもたらす生涯学習や教育発展の機能。その上、万葉集に詠まれた池が現存しているようですから、文化資源としての存在も重要ですね。
 このように考えていきますと、現代的な価値を探りながらため池を再生する取り組みは、地域資源学の応用問題のようなものです。本日のようなテーマは、大和の伝統野菜などを味わいながらじっくりと論議したいものです。
 奈良県内に古墳はいくつあるかご存じですか。8000基といわれますね。ではため池はいくつでしょう。なんと6000余りです。立派な数字ではありませんか。この数字をみても本県は、香川県や大阪府と並ぶ「ため池王国」といってもいいくらいです。

 ■激減する水資源の遺産

 しかし、残念な報告をしなければなりません。奈良盆地のため池が激減しています。県内のため池の数は、県庁の農林部耕地課というところが調査しており、「ため池台帳」というものがあります。これによると1960年代の段階では、奈良県内に1万3000個ものため池がありました。それが1995年の調査では半減の6500個になってしまった。わずか30年ほどの間に急激に減少したようですね。冒頭に、ため池には多くの機能があることをお話をしましたが、貴重な地域資源がこんなに減少してしまった。その上、現在は95年の調査から12年も経過しているので、改めて調査をすればさらに減少していることは間違いないと思います。
 奈良のため池はなぜ激減してしまったのか。ひとつには人々の農業離れという産業構造の変化があり、さらに、大阪府に隣接した地域ゆえの宅地開発ラッシュという事情がありました。また戦後の高度成長期には地域の基盤を整備する上で、池は随分と公共の用地に供されました。どのような開発であれ、用地を取得するときにコストがあまりかからないという側面があり、ため池は社会の変遷とともに消えていきました。本県は戦後、有数の人口増加県でしたから、大阪府のベッドタウンとして西部の丘陵地などの開発が進み、それがある意味では今日の奈良市の基盤を形成しています。
 奈良市外では、馬見古墳群という有名な史跡がある馬見丘陵のあたりはかつて、「坪池」というとても小さなため池が1500個ほど点在していたそうです。水系から孤立しがちな丘陵地に特有な灌漑スタイルでしたが、奈良市北西部の「坪池」と同様、やはり宅地開発によって大方姿を消しました。西大和ニュータウンと呼ばれる北葛城郡河合町のあたりか、あるいは香芝市付近の真美ケ丘ニュータウンのあたりかと思いを巡らします。開発とともに素朴な雰囲気が失われてきた地域です。
 公共事業においても、ため池は道路建設や福祉施設などのさまざまな用途に供されてきました。最近の事例をひとつ挙げますと、佐保川沿いに県立の大きな図書館ができましたが、ここも大池というため池だったのですよ。図書館の拡充は大切なのですが、近くには奈良市立の立派な図書館がありますし、あえて池を潰して建設するのはもったいないという気がしました。だれも反対しませんでしたが、文化ホールなどと同様、県庁所在地において、県立の施設と市立の施設が競合するのは感心しません。二重投資と批判されても仕方のないことで、それなら新しい図書館は、中部、南部のもっと人口の小さい市町村に設置すればよいと私は考えていました。大池のお隣は小学校なので、ビオトープなどに活用して残しておいてもよかったのでは…と思います。
 この池も灌漑用に築造されたものですが、田畑がなくなって水利権も停止になり、地域の共有財産であることが放棄され、奈良市有のため池となりました。図書館用地になり、県が市に支払った代金は28億円余り。いかに大きな池だったかを物語ります。
 さて、ため池の減少について検証する上では、宅地開発という観点だけでなく、本県特有の事情である吉野川分水の取り組みを通して考える必要があります。300年の悲願といわれた吉野川分水です。いま大和川水系の話をしているのになぜ急に吉野川の話に飛んでしまったのだと思う方もいらっしゃるでしょう。水系はまったく違いますものね。それは、雨量日本一の大台ケ原に源を発する豊かな吉野川の水を、日照りに苦しむ奈良盆地の田畑に引き込むことができたらどんなにか農業に有利だろうと昔の人たちが考え、苦労の末、1950年に着工、その5年後から分水が実現した大事業のことです。
 しかし日照りに苦しんだから江戸時代にため池をたくさん造ったのではないかと、みなさんは頭が混乱してきますね。実は奈良盆地のため池の多くは「皿池」といいまして、四方を堤で囲んで田畑に水を引き入れたものです。高原の農業のように谷水などの落差を利用して水を貯めれば、ダムと同じ原理で比較的容易に水が貯まりますが、奈良盆地の「皿池」の多くはそうはいきません。揚水といって、大和川水系の河川から苦労して池に水を引き入れ、農業用水を確保してきたといいます。水が貯まってからも維持・管理や盗水の監視など色々と苦労があったようです。そこへ吉野川の潤沢な水を引き入れたら農作業はもっと効率化すると、江戸時代のごろから人々は真剣に構想してきたのでしょう。
 これがようやく実現し、吉野川分水による用水路が奈良盆地に張りめぐらされることになりますと、地域によっては、ため池の依存度が低下してきました。ある意味ではため池不要論につながるのかもしれません。研究者によっては、ため池灌から河川灌漑に移行したと見る方もいらっしゃいます。しかし、吉野川分水の大事業を敢行した重要な背景には、ため池の用水を安定的に補給するという目的があったのですから、いつもその原点を忘れずに考えたいものです。ため池との共存という原点を…。
 さて、池が激減する過程においては、開発を容易に進めんがための農家証明偽造事件など残念な出来事もありました。都市計画上、開発が抑制されている市街化調整区域が事件の舞台です。また、県内のある小さな町では農業の担い手もいなくなり、市町村合併する前に地域の共有財産のため池を売ってしまおうということになりました。地方自治法にある地縁団体の条項を逆手に取って議事録などを偽造してしまった。では、各地のこのような場面で、「おかしい」と声を上げる人はいなかったのかといえば、そうではありません。けれども私も本県で仕事をしていて感じますが、地域で「池を守りたい」と少数意見を唱えることのどれほど苦しいことか。みんなと違う意見を言うことがどれほど大変か。反対意見を言ったばかりに、のけ者された人もいます。「村の恥が表に出ることが恥であり、不祥事は黙認しておこう」という声も聞きました。
 そうした状況にあっては、まちおこしを担うキーパーソンは「若者、よそ者、馬鹿者」という"定理"に元気づけられますね。どなたが最初に言及されたのかは知りませんが、目先の損得抜きに地域の大きな利益を目指して理想を貫くのが「馬鹿者」でしょうか。若者が大切なのは言うまでもありません。「よそ者」とは建設的な批判力が期待される人であり、転入者やニュータウンの住民が当てはまるでしょう。地域と地域をつなぐネットワークも大切にしたいですね。

 ■奈良らしい治水工事を探る

 このように激減の渦中にありますが、私はため池を活用した持続可能な治水事業を提案しています。そもそも私がため池の洪水調整機能に関心を持ったのは、世界遺産のすぐ近くに建設された治水ダムがきっかけでした。
 奈良市にある「古都奈良の文化財」が世界遺産に登録されたのは1998年のことです。国の天然記念物に指定されている春日山原始林も遺産を構成していますが、峰続きの高円山の山麓に県営の治水ダムが造られました。大和川水系の岩井川ダムです。60年代の後半、岩井川の洪水被害が発生し建設が計画されました。ダムの建設に伴い、県道の奈良・名張線を一部付け替えることになったのですが、この新しい道路の一部が遺産のバッファ・ゾーン(緩衝地帯)にかかっている。バッファ・ゾーンというのは遺産を直接保護するエリアとして国連のユネスコに届け出ているものであり、そこに直接、道路を新設するというのは、たとえ短い距離であっても私は疑問に感じました。着工前にもっと論議すべきでした。原則主義と言われるかもしれないが、遺産を守ろうと一度線引きしたことは安易に崩してほしくない。ただ治水というのは本当に難しくて、相当な理論武装が必要なのですが、「ダムを回避して災害につながったら、だれが責任を取るのか」という推進派の反論には容易に答えにくいですね。
 岩井川ダムの代案として私が提案したのが、ため池の治水です。池を活用した洪水対策は国土交通省も奨励してきた事業です。そこで岩井川の流域10キロを歩き、どの程度のため池が現存しているのか調べてみました。すると小さな河川の割には、流域に19もの池があったのです。いまある池を生かし、水位を調整したり、池底を掘り下げるなどして治水容量を高め、さらに遊水地や田畑の再生、緑地の整備など総合治水の色々な手法を駆使すれば、ダムと同レベルの洪水対策量が確保できて、遺産の勧奨地帯を傷つけなくてもよいのではないかと考えました。
 その上、冒頭に申し上げた池の多機能な公益性を思い起こしてください。この地域で新規にダムを建設するよりも、ため池治水の方が付加価値が増すのではないでしょうか。
 このようにダム建設が契機になって、私は奈良盆地のため池に益々愛着を感じるようになりました。先ほど、総合治水ということを申しました。田んぼや森にも大きな治水力がありますし、仮に奈良市内の10数万世帯が自宅の庭をコンクリートで固めず、土のままにして植栽などを施されますと、市内の治水力は高まっていきます。こうした色々な手法を組みあわて河川の雨水をゆっくりと海に流してやるというのが総合治水ですね。お隣の大和郡山市では、庭などに雨水貯留タンクを導入した世帯には助成金を出していますが、全県に広がってほしいものです。みんなで雨水を貯めれば、治水の効果が出てくるでしょうし、この雨水を洗車や庭木の散水に使えばまさに利水であり、水道料金の節約にもつながります。一人ひとりが管理する小さな多目的ダムと言えるかもしれません。
 そもそもダムとため池は同類のようなところがあり、えん堤が15メートルを超えるため池は行政上はダムに位置づけています。冒頭にお話した日本書紀に出てくる蛙股池も、市の防災計画上はダムの範ちゅうです。ダムというと、何か環境保全と正面から対立するような概念でとらえられることもあるでしょうが、奈良盆地のため池の起源をたどれば、日照りに苦しむ風土の中から水資源の安定供給を目指して築造されたものであり、原理は一種の利水ダムということになります。いまでこそ美しい水辺ですが、当時の人々は景観形成を目的に築造したのではありません。ただし今日、世界遺産の近くにダムを造ったり、村の中心部がすっぽりと水没するようなやり方をしてまで大型ダムが最善なのかということになりますと、再考の余地があるのです。

  ■佐紀盾列古墳群で考える

 先ほど、ため池を活用した治水対策は国も奨励していると申しました。県や市町村が国庫補助を受けて実施してきた池の整備工事は、県内でも数々の実例があります。しかし中には池底を掘り下げすぎて、池のもつ景観形成機能が発揮されていないという残念な例もあります。
 みなさんは奈良で勉強されていますから、近鉄百貨店のある西大寺駅のならファミリーに出掛けることがあるでしょう。このショッピングセンターのすぐ近くの北西の地点に大きな森が見えますね。佐紀盾列古墳群であり、その盟主たる陵山古墳に隣接した吉堂池が数年前、県の治水工事に選定され、治水容量を高めるために池底を3メートル近く掘り下げ、えん堤を補強する施工が行われました。ところが、池底が低くなるということは、当然、常時の水位は下がりますから、水辺の景観ががらっと変わってきます。その上、工事中に池のヘドロを除去する際に、江戸時代の築造以来ずっと池底をしっかりと支えてきた粘土層を根こそぎ取り除いてしまい、池水が漏水するという欠陥工事にも至ってしまいました。
 この吉堂池のある一帯は、世界遺産・平城宮跡のバッファゾーンであり、古都保存法に基づく歴史的風土特別地区です。景観に配慮した施工に努める必要があるのは言うまでもありません。4世紀後半の巨大な前方後円墳と江戸期に築造された池が寄り添うように独特の景観を形成してきました。工事前は満々と水をたたえていたので、地域の人たちも「池の水がすっかりなくなってしまった」と残念そうです。
 池底を掘り下げる工事は、理論的には治水容量を高めるのですが、このような小さな池でも工費が5億円もかかり、現在の厳しい財政状況では、掘り下げ方式の工法を採用する市町村は激減すると思われます。
 ため池は、存在するだけで一定の治水機能があり、まずは多くを残していくことが最善の治水かもしれません。また掘り下げの施工と比べ、コストが低い治水事業として、「水位調整方式」というやり方もあります。これは水利組合の協力を頂いて、洪水に備えて水位を調整する方法です。蛙股池をはじめ、生駒郡三郷町の大門池などで実例があります。

  ■風情ある環濠集落

 ため池を生かした防火施策も考えてみましょう。阪神淡路大震災が発生したときの消火体制の欠陥を教訓に、神戸市は市内二百数十ケ所の公園などに防火の貯水槽を常時設置していると聞きました。神戸市の人口は150万人で奈良県の人口とほぼ同じですが、わが県内の6000のため池が秘めている防火の機能とは相当なものではないでしょうか。神戸市の努力を思いますと、私たちはため池を活用した防火にもっと着眼してもよいですね。
 金魚の生産が日本一で知られる大和郡山市は、養魚のため池がとても多い地域ですが、阪神淡路大震災を契機に市内約50ケ所のため池と2カ所の環濠集落を防火用水として新たに指定しました。池や環濠に貯えられている水が、火災発生時のポンプ車の消火活動に大いに役立ち、延焼をくいとめた事例が最近あると聞いています。消火栓の欠点を補ったのだといいます。
 環濠集落は風情ある歴史的景観ですが、その成り立ちは中世にさかのぼります。自治都市を防御した機能だけでなく、治水や排水面においても役立ち、環濠集落は多機能な水資源を管理していたと指摘する研究者もいます。郡山は稗田阿礼ゆかりの稗田の環濠集落が有名ですが、天理市内などにも趣のある古い環濠が残されています。

 ■二上山を映す池、協働でよみがえる

 これまでは主に行政の課題や取り組みをお話しました。そこに「住民参加」という新たな理念が吹き込まれ、人々が自発的に行動したとき、ため池の活用と保全はどのように展開するでしょうか。
 二上山のふもとにある当麻町の事例を紹介します。市町村合併により現在は葛城市になりましたが、このまちが10年ほど前、生活排水で真っ黒に汚れてしまった地域のため池を、まさに協働の手法で美しいコミュニティ・スペースとして再生した話です。
 池は江戸時代、竹内街道(国道166号線)の沿道に築造され、木戸古池という名前がついています。第2次世界大戦後の高度経済成長のころから周囲に家が立ち並ぶようになり、いつしか生活排水が池に流入して汚染が進み、人々が近づかなくなりました。しかし池は、水面に二上山の姿を映し出すという、埋め立ててしまえば二度と手に入れることのできない価値がありました。池を生かした公園や遊歩道が有志によって構想され、改修事業が動き出しますが、完工後の管理を住民自身で行っていることが素晴らしい。公共事業は当然、「あと」が大事です。
 協働とは何でしょうか。異なる色々な主体が自発的に参画し、相乗効果を上げながらまちづくりを進めていく手法ですね。ここに紹介したケースも協働型でしょう。なぜなら、町役場、水利組合、農家組合、ボランティアグループなど、池の再生に関与したのはそれぞれ独立した団体です。樹木の植栽や動物の世話、トイレの清掃などをみんなで分担しました。見違えるほど美しくなった池には、毎朝、ラジオ体操が繰り広げられ、住民はもとより、お隣の大和高田市の人も散策に訪れるようになり、とても感動しました。
 池の改修費用は、えん堤の強化や周辺整備の工事も含め3億円ほどであり、国庫補助金を有利に活用して地元負担が軽減されました。しかし今日は、地方分権の時代です。自治体の裁量で自由に使える地方税をもっと強化する方向が求められています。地方財源を拡充するということは、地域の貴重な資源を住民参加の手法で活用し保全する上でも大切なことであります。これからのまちづくりの財源はどうあるべきか、みなさんも大いに関心を持ってください。私論ですが、都市計画税を発展的に解消し自治体の新たな財源にする「まちづくり税」の構想を提起したところです。
 ため池の所有形態にも少し触れておきます。激減の事情とも絡みますが、7割近くが個人の所有です。地域の共有財産として残っているものが1割強。自治体の所有はわずか3パーセントと聞いています。こうした状況ですから、益々、まちづくりや都市計画の哲学というものが試されるのです。
 みなさんにお配りした新聞記事の中に、近鉄学園前駅近くの希少なため池である「蒼池」が開発にさらされ、風前の灯という話題が出ていますね。5年ほど前に私が書いた記事です。しかし最近、市役所が市民から公募した協働事業の第一号に採用され、ビオトープとして再生される可能性が出てきました。保全運動を続けた住民の努力の賜物です。
 私が記者になった20年ほど前には、まさか役所が市民から事業の提案を公募するなど、まったく考えられませんでした。時代の変化を実感します。市民の意見を聞かないような自治体は、きっと取り残されていくのだろうと思います。
                              =講義録に加筆・修正をした=

 あとがき

 奈良盆地のため池が秘めている大きな力を探ってみた。ここでもう一つ、池の可能性をつけ加えたい。それは地域の行事や祭のときに、すぐれた舞台になるということだ。昔から大和の人々は、冬が来ると池の水を抜いて堤を乾かし、劣化を防いできたが、そのときに穫れる魚類を分け合って料理にしたという。奈良教育大学の近くにあった紀寺町のため池も、晩秋になると水を抜いてドジョウやウナギを収穫し、祭のごちそうにしたと聞いた。戦後まもないころまで、市内のあちこちでこうした光景が繰り広げられていたことだろう。
 激減する水辺の空間を惜しんで、新聞連載「ため池ルネッサンス―防災と景観」に取り組んだのは2003年のことである。その後、記事をもとに書いた小論「防災と景観―ダムVSため池」(政策提言誌『ならの風』に収録)に対し、奈良教育大学の川上文雄教授が面白みを感じてくださり、このたび大学の授業で特別講義をする機会を頂いた。これから教職に就く学生さんたちが将来、児童や生徒と共に地域資源に磨きをかけてくれたらどんなに素晴らしいことだろう。
 この数年、大和川水系の色々な現場を歩いてきたが、図書館で見つけた研究報告書『吉野川分水によるため池地帯の水利構造』(中国農業試験場農業経営部)は、奈良盆地の水系を深く理解する助けになった。
 大和川の古代水運や中世の環濠集落、そして近世のため池築造から現代の吉野川分水―。奈良のまちづくりは河川と共にあり、水文化の視点なくしては成しえないものと私は考える。

  (あさの・えいこ)

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