ある書評〜精神病院に潜入した若手ライターがいた

2015年4月2日
フリージャーナリスト 浅野 詠子

 未使用のテレホンカードを募り、精神病院の入院患者に贈る運動をしている人がいる。はじめて聞いたとき、入院生活の一助になるのだろうぐらいに考えていた。

 ところがもっと切実な話であることが、『潜入 閉鎖病棟〜「安心・安全」監視社会の精神病院』(柳田勝英著、現代書館)という本を読んで知った。院内には携帯電話を持ち込むことが許されず、テレカが切れて困ってしまう場面が出てくる。

「じゃあ、次の週のカード購入まで電話できひんな」

 からかうような看護師の言葉が意地悪く冷たく響く。月決済なのだから、前渡しをしてくれてもいいではないかと著者は憤る。閉鎖病棟の空間において、通信の自由がこんなに制限されているのかと驚かされた。

 ルポライターの著者は2002年5月、精神病院に潜入してやろうと決断する。当時、神経衰弱に陥り、通院していたというが、あえて危ない橋を渡ることにした。はじめて処方された向精神薬を服用し、頭がぼんやりしてきたところに缶ビールをぐいと飲んで無理やり意識をもうろうとさせた。そのまま警察署に飛び込み、症状の重い精神病者の演技をして「保安処分にしてください」と言い放つ。望み通り、直ちに民間の精神病院に運ばれた。体当たりでつかんだドキュメントである。

 潜入モノといえば1970年、朝日新聞に連載され、後に書籍化された『ルポ精神病棟』(大熊一夫著)の告発が思い起こされる。『潜入 閉鎖病棟』の著者は、その年に生まれた。あれから30年以上の歳月を経て、日本の精神病院は何が変わり、何が変わっていないのか。若いライターが自分自身の目で、皮膚で確かめた記録は貴重だ。

 本書は、著者が病院側に開示請求して得た看護日誌や診療情報提供書をはじめ、入院中につけていたノート(断片のみ保存、本体は病院が紛失)、自身の記憶などをもとに内部の実態を明らかにしている。2012年に刊行された。人をおちょくったような看護師の言葉のいくつかが「声かけ」という正規のケアとして、看護日誌に記録されている。ほかにも病院に都合の悪いことが、病棟の記録簿から省略されていた。犬にえさをやるように看護師からコップを突き出されたこともある。

 独房のような保護室に入れられたときは、恐怖のあまり、獣みたいになって取り乱した。「あんなところに年中閉じ込められていれば、誰だってドアを蹴りたくなるし、叫びたくもなる」。手の平にのった薬の量の多さに仰天した。詐病同然の入院なのに、つけられた診断名は精神分裂病。入院の形態は「医療保護入院」とされ、保護者が退院に同意しなければ、いつまでも留め置かれる不安がつきまとった。

 保護室を出されると、病棟のトイレに紙がついていないことに気がついた。強制的な入院であるのに、トイレの紙まで患者たちに買わせる。喫煙室では小遣いに窮した患者が拾いたばこをしていた。法務省の人権擁護委員の制度は有名無実ではないのかと著者は感じている。「応対する人間が、患者たちの妄想の部分に気をとられて真実の部分にまで疑問をもち、その後の看護師や医師の言い訳を100パーセント真にうけてしまうからだろう」

 農作業をしたり、百貨店の紙袋を作ったりする患者もいた。れっきとした労働なのに賃金は払われず、作業療法という名の治療として押し通される。収穫された農作物は流通の経路もはっきりしなかったという。精神病院なのに、知的障害者と思われる人も閉鎖病棟で過ごしていた。家族から見放された人ほど入院の長期化が著しいようだった。

 こうした不条理な実態は、潜入してこそつかんだ事実だ。そんなところで暮らしていたゆえ、患者同士の共感や連帯感がいかに深いものであるかを著者はつかみとる。その交流ぶりが生き生きと描かれている。気持の優しい患者仲間に支えられ、一日一日を何とか乗りきり、著者は退院の日を迎える。患者たちの話しぶりに脈絡が途切れたり、立ち居振る舞いが一般の常識からずれていたとしても、世間が言うような「危険な」人はいなかった。一体、閉鎖病棟の患者とは何なのだろうか。著者はこんふうに思いをめぐらせる。「それぞれの生活の場から迫害され、囲い込まれるように辿り着いた狭い空間内で文化を共有する少数民族かもしれない」

 奥付のプロフィールによると、著者の柳田氏は関西を拠点に市民運動、労働運動の機関紙で執筆中だという。

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