【書評】浅野詠子著『ルポ・刑期なき収容―医療観察法という社会防衛体制』現代書館

「こんなところにも生き残っていた治安維持法」

岩本 勲(政治学、大阪産業大学名誉教授)
2014年6月

 本書は、「医療観察法」適用の実態を、2年余の丹念なルポに基づいてまとめられた労作である。私は迂闊にも、同法の存在を知らなかった。私は職業柄、人権問題に深い関心を持っていたはずなのに、誠に恥ずかしいが、現実に生じている極めて深刻な人権問題に気づかなかった。周知のとおり、現行刑法では、傷害・殺人などを犯しても、精神病などで心神喪失の場合、責任能力なしとして不起訴もしくは無罪となる。だが、不起訴・無罪にも拘わらず触法患者は再犯の恐れありとして、事実上、期間を定めずに精神病院に強制的に隔離されるのが、同法の制度である。刑法の大原則は、すでに犯された違法行為に対する罰則の適用であり、犯されてもおらず、犯されるかもしれないという単なる予測に基づいて拘禁など人権の制限をしてはならない、ということにある。犯罪行為の予測に基づく拘禁など人権制限は、ナチス流の社会防衛思想の産物に他ならない。この点で、本書のタイトルは実に鋭く「医療観察法」の本質を衝いたものといえる。

 本書を暫く読み進むうちに、これはまるで、戦前の治安維持法下の予防拘禁ではないか、と慄然とした。もちろん、本書にもこのことは指摘されていた。予防拘禁とは治安維持法違反で刑期の終えた者でも再犯の恐れありと見做されれば、半ば永久的に牢獄に閉じ込められる制度であった。これは、治安維持法を補完するために定められた「思想犯保護観察法」(1936年制定)に基づいていた。この法律もまた「観察」であり、この言葉こそ曲者なのだ。「医療観察法」が、不起訴・無罪の触法患者の「社会復帰の促進」(同法第1条)をその目的にすると称しながら、実はそれとは裏腹に、触法患者を社会から締め出し隔離するための刑法に他ならないのである。現に同法は、刑事訴訟法の準用の下に運用されている。

 戦後も長期間維持された、基本的人権を侵害する社会防衛政策の際たるものは、ハンセン氏病患者の生涯にわたる強制的監禁制度であった。ハンセン氏病患者を社会から隔離した「らい予防法」が廃止されたのは漸く1996年のことであり、熊本地裁は2001年、「らい予防法」の強制隔離政策を憲法違反とする画期的な判決を下した。それにも拘わらず、「医療観察法」が2003年に成立したのである。政府はかねてより、精神病患者に対する予防拘禁である「保安処分」の新設を企図していたが(『刑法改正草案』1974年)、精神医学者たちの反対で、これが実現しなかった。ところが、池田小学校事件によって生じた社会的ショックを好機とばかりに、そのドサクサに紛れて「医療観察法」を押し通したのである。

 私は子どもの頃、堺市浅香山と大和川を挟んで接する大阪市住吉区に住んでいたが、浅香山に精神病院があったことを覚えている。当時、大人たちは「きちがい病院」と呼び、子ども心にも、なんだか精神病は恐ろしい、という偏見が植えつけられたものだ。このような偏見は今なお、人々の心の中に広く深く生き残っている。

 だが、現実的には、精神病患者による犯罪発生率の低さ、再犯率の低さ、暴力の主たる被害者が身内であること、犯罪発生後におけるいわゆる精神鑑定についても鑑定者によって十人十色であること、等が本書に指摘されている。それにも拘わらず、大半のマスコミなどは、精神障害者の犯罪をセンセーショナルにとりあげ、世間の偏見を煽っているのが実情である。

 本書全編に紹介されている諸事例の多くは実に腹立たしい。だが、このような困難な状況の下で、患者に寄り添い、最善の治療方法を、「人間同士のコミュニケーションが本来の治療でしょう」とおっしゃる池原弁護士や日ごろ「対等と公開」を原則として患者やその家族に接しておられる奈良の精神科ソーシャルワーカー一ノ瀬さん(仮名)のような方もおられることが、せめてもの救いである。そして最終章に至って漸くホットできる記事に出会えた。そこでの事例紹介では、自分たちのことを半ば客観的に「キーサン」と呼び、街に生きることをモットーとしている患者集団が1970年代から西日本のある古い街に息づいている、とのことだ。このような試みも重要な問題解決の一つといえよう。

 私事にわたって恐縮だが、本書の読了後は、これまでは読み過ごしていた精神障害者関係の新聞記事が急に目に飛び込んでくるようになった。たとえば、奈良県内の12市には、精神障害者保健福祉手帳の所持者が約5300人(1級~3級)おられるが、12市は県の「精神障害者医療費保護助成」方針を実施するには予算が足りないとして対象人員を県方針の5分の1に縮小するように主張しているらしい(「毎日新聞」2014.6.24)。これが日本の貧しくも悲しい現実の一端でもある。

 最後に少しだけ要望を言えば次の通り。昔は「精神分裂症」と言っていたものを今日では「統合失調症」と呼び変えたこと、このほかに治癒困難型として「人格障害型」「発達障害型」という言葉もでてくる。これらについて、少し分かり易い解説を付けてもらえば、より本書の内容を深く理解することが出来る、と思われる。

 (いわもと・いさお=大阪府出身の奈良市民。著書に『歴史に学ぶ侵略と戦争の論理』(晃洋書房)など多数。「戦争をさせない奈良1000人委員会」賛同人)

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