奈良町座 「ゲストスピーチ」の大要

『奈良の平日』とならまち

2012年3月16日
浅野 詠子
会場:ならまちの蔵武D

 ちょうど1年前の今ごろ、取材を開始し、およそ5カ月間、奈良を「歩く」「見る」「聞く」、そして「まちの人に学ぶ」ことに徹して、『奈良の平日 誰も知らない深いまち』(講談社)を書きあげました。古い土地の生活感や路地裏への関心はいまも尽きることなく、歩くほどに魅力を感じています。
 書き終えてみると、登場人物がかなり多いことに気づきました。この地でこつこつ頑張っている人、物知り、生き字引、郷土史家、お米屋さん、茶道の先生、市役所の職員…といった、まちの一員たる人々の話し言葉がたくさん出てきます。
 地域は、きたまち、ならまち、高畑が中心で、大和郡山の話題も1割程度のせました。江戸時代は、奈良奉行の支配のおよぶ範囲を奈良町といったので、きたまちも高畑も奈良町、そしてJR奈良駅や近鉄新大宮駅の界隈も昔は奈良町だったのだよと、本書で少し解説しています。
 テーマ別では、奈良盆地のため池、近代建物の魅力、それに「乗り物」でも1章を設け、お駕籠や人力車に乗って、徒歩とは違う高さから見える奈良の風景を描いています。駕籠を営業している「時代かご」の副代表の奥村君は奈良新聞時代の後輩。地域おこしのボランティアで運行しているのかと思ったら、真剣な起業と知り、驚きました。駕籠は目線が一番低くなる乗り物で、ふだん見下ろしていた路上の「いけず石」などが眼前に迫ってきます。
 私は1959年に神奈川県の平塚市で生まれ、空襲の焼け野原から再出発した駅前の商店街の界隈で育ちました。ですから奈良に来るまで、木造の町家なんか、見たことも聞いたこともありません。家の近くにはお地蔵さんのお堂もなかったし、因縁めいた祠などもない。奈良はどこを歩いても地域資源の宝庫という感じがするのですが、私の生家の近辺では、番長皿屋敷のお菊さんの墓所跡とされる「お菊塚」くらいしか思い出せません。それで本書のどこかには、知らず知らず、よそ者の目で発見した奈良の魅力が出てくるのかもしれません。
 ここ数年は、奈良と大阪を結ぶ暗越奈良街道の振興をめざすグループとの交流があり、「街道100景」の選定に参加したり、シンポジウムの司会もしています。メンバーの1人がこしらえた散策マップをお持ちしました。演芸場「二葉館」とか、「新今里ホテル」とか、現存しない建物の写真が何枚か張られています。もはや「ない」ものを紹介するなんて、新鮮に感じました。これこそ住んでいる人向けの観光マップと言えます。それも古代の史跡のような大それた「ない」ものではなく、私たちの祖父母が見たら、さぞなつかしいと思うだろうな…というような近代の建物たちです。想像をふくらませながら、ふだん見慣れた風景を歩いて楽しむというわけです。
 そうした刺激もあって、『奈良の平日』には「ない」ものが少し登場します。ひとつは旧絵屋橋の欄干跡の風情。昔は率川が流れていて、暗渠になりました。下流に行くと、菩提川と名を変え、三条町の暗渠の上は通路になっています。河川でもない、道路でもない不思議な空間で、染色工場の煙突も人間くさい。しかし前方に春日連山を仰ぐというのがいかにも奈良のまちですね。
 さて本書には「奈良の民衆が残した近代の建物」とくくれる、四つの建物が登場します。志賀直哉旧居(2章)、旧奈良県物産陳列所(5章)、旧鍋屋交番(1章)、そしてJRの旧奈良駅舎(5章)。いずれも県や国が取り壊しを決めていましたが、建物の価値に早くから気づいていた人々が熱心に保存署名を集めるなどして運動に奔走しました。そうした記録を本書で残せたことは何よりです。その旧物産陳列所の取り壊しを知った地元の建築家が、水門町の入江泰吉のところに相談に行くという場面も、聞き取り調査で再現することができました。
 明治の建物は古都奈良に残り少なくなりましたが、大正や昭和初期の建物と同様、世界遺産都市の名わき役であり、風致地区のすぐれた例外だと思います。
 また私は日ごろ、奈良盆地のため池も大事にしたいと思っています。紀寺町にも一昔前には大きなため池があって、晩秋の祭りのころに水を抜いてウナギやらコイやらの色々な淡水魚を料理してみんなで食べたと地元の人に聞きました。開発で池はもうありませんが、この土地ならではの独特な食文化があったのだなと感心しました。池は単に農業用水を確保する施設というだけでなく、地域のコミュニティに欠かせないものだったのでしょう。
 関連する話として、本書ではJR奈良駅前にあった三条池を取り上げました。ここでも食用のフナが養殖され、駅前の市街地で悠々と泳いでいたとは、何て独特な光景だったことでしょう。開発で消えたため池をあえて取り上げることで、残された池の価値を伝えたいという思いがあります。農業用水としての需要は減ったものの、現代的な価値で治水や生物多様性の確保、そして何といっても景観…と実に多機能です。もっとも本書には、そうした理屈は一切書いていませんが。
 この5カ月間の取材と執筆は、締め切りのこともあって苦労もしましたが、充実感いっぱいでした。そして書き終えてみると、まち歩き、地域資源さがしがどうも病みつきになってしまったような気がします。しかも、他のまちでなく、もっと奈良を歩いて奈良のことを書きたいと思うのは、それが1300年の蓄積というものではないでしょうか。
 自治の視点でもって、『まちづくりと景観』、『まちづくりの実践』などの著作のある田村明は「一見、平凡に見える風景に真実がある」と言っています。とても好きな言葉です。田舎を取り続けた写真家・前田真三の作品を評して田村はそう言っているのですが、私も世界遺産都市に住んで、やはり平凡な風景こそ大事にしていきたいと考えます。それが10年、20年後の風格をある奈良をつくっていくのだと思います。

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