取材活動20余年、〈外部の目〉で見た奈良
          

フリージャーナリスト 浅野 詠子 
                 2010年12月3日 
               =橿原ロータリークラブ・卓話=
 


 ことしは滋賀県長浜市のコンプライアンス推進に向けた外部委員会の委員に任命されました。当地に縁もゆかりもない私が起用されましたのも、時代の変化というものを感じます。工事の発注にからむ職員の不祥事をめぐって市長から電話があり、「外部の目で厳しく指摘ほしい」と言われました。
 わたしが住む奈良市は2002年に中核市になり、包括外部監査というものが法定の義務になりましたが、これとて、「外部の目」が行政運営に重視されるようになったということですね。いうなれば、よそ者の視点というものが法律のお墨付きを得たということになります。では、これまで行政を監視するはずの議会はどうだったのか、本当にきちんと監視してきたのか、そこが問われると思います。
 さて、まちづくりをすすめるには、この「よそ者」の視点が欠かせないと、よくいわれます。だれが最初に言ったのか、わかりませんが、まちづくりを成功させる秘訣として「よそ者・ばか者・若者」という3通りのタイプの人々がかかわることがポイントのようですね。よそ者とは、外部からの新鮮な目、ある意味では公平で、それに旺盛な批判精神も伴う。ばか者といのは、自分の利害なんか顧みずに地域の課題にまい進するような熱い人。さらに若者が集まれば、まちおこしの機動力が格段に違ってくる。
 以前、明日香村の関義清村長は、村の棚田についてこんなことを話しておられました。棚田というものは、農業者にとっては大変な労力がかかり、美しいなどという感覚のものではなかった。しかし、東京の人がその価値を発見してくれたのだと。まさに外部の目で発掘された地域資源だと思います。
 また、武村さんが滋賀県の知事になったとき、真っ先に外国人の目から見た率直な志賀の印象について聞き出し、施策に反映させたという話を滋賀大の先生から伺ったことがあります。もう何十年も前に、外部の目を生かそうとしたのだから、武村さんは進んでいたのですね。
 わたしは神奈川県の出身で、大学を卒業してすぐに奈良の地方紙に就職しました。記者として最初に赴任したのが吉野郡であり、山間部の過疎の村々を5年間、じっくり担当できたのは何物にも代え難い体験でした。新人記者として格闘した現場というのは、その後の人生に大きく影響するもので、国土の矛盾を考えるテーマをひとつ与えてもらったようなものです。今でも山村の振興に向けた課題が出てくると、人ごとのようには感じられません。
 では、わたしの目で発見した地域資源の魅力についてお話します。それは奈良盆地のため池です。日照りに苦しむ人々が築造し、現役の農業土木遺産ともいえますが、現代は洪水調節機能も見直されています。それだけでなく、野鳥が飛来して羽を休めている水辺を眺めていると、ホッと心が休まるし、生態系の角度からは生物多様性の確保にも貢献していて、ため池は実に多機能だということです。開発で激減していることが残念でなりません。
 佐紀池のほとりをそぞろ歩きますと、平城宮跡の大極殿は、逆さになって詩情豊かに映し出されます。この池は、古代の庭園遺構ともいわれますが、後に農業用の池に造り直され、満々と水をたたえていますね。復元された大極殿は、ため池という地域資源の力を借りて、その魅力を増していくように思います。
 今年は静岡県の袋井市議会の委員会が大和川水系の治水対策を視察するため王寺町に来られましたが、ため池を生かした貯留に大変驚かされたそうです。やはり静岡という人の外部の目で、わたしたち奈良の固有の治水方法を評して頂き、とても感慨深いものがありました。
 さて、外部の目から見て、もっと変わってほしいと思うことがあります。それは地方議会です。地方分権の制度がスタートして10年になりますが、議会は地方自治を高めてきたのかどうか。確かに議会基本条例が各地で制定されるようになり、前進した地域はいろいろとある。しかし、もっと住民にわかりやすいものであってほしいと、奈良の地で願います。依然、住民と議会との距離は遠いものがあります。
 わたしはこれまで、議員と公共事業の問題をはじめ、何かにつけ、ずけずけとものを言ってきました。よそ者だからできる、ということもあるのでしょうが、地元の人々はいろいろと傷ついたこともあったのではないでしょうか。
 同じ地域の課題を考えるにしても、地元の人というのは郷土愛のようなものがあるから、何かの問題が起こったときに、厳しく批判するよりも、まず同情したり、思いやりの心で接するのだと思います。愛郷心から出発するまちづくりというのもあるでしょう。反面、身内に甘かったり、閉鎖的にところもある。したがって、よそ者、外部の目が今日、重視されるわけです。故郷を愛する心、そして外部の目の双方が地域の発展に欠かせないと思います。
 ある研究者が「風の人」「土の人」という言葉で、まちを言い表したことがあります。「風の人」は、ニュータウンなどに移住してきた人々、「土の人」は、先祖代々住んでいる地元の人々。風と土、合わせて、「風土」ということを意識されたのでしょうか。よそ者のわたしは、風の人というほど、かっこいいものではありませんが、いつも土の人の知恵を借りたいと思っています。その知恵が詰まっているのが、奈良盆地のため池ではないのかと考えています。
                  

(会場、橿原ロイヤルホテル)
                   =講演録に加筆・修正をした=

 
※奈良盆地のため池についての浅野の論考は
http://www.h7.dion.ne.jp/~eiko/20080421_7.html     

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