2011・統一地方選を迎えて

〜市民力、議員力を考える

    フリージャーナリスト 浅野 詠子


 わたしが地方紙の記者になったのは1986年のこと。その翌年の87年は 統一地方選挙の年であり、吉野郡の町村議選を担当して当落の予想を任され、 125ccのオフロードバイクで険しい山村を走り回った日々を思い起こす。 以来、7度目の統一地方選がめぐってくる。
 90年代より「議員と公共事業」の深刻なかかわりをテーマとして、連載に 力を入れてきたが、2000年には地方分権一括法が施行され、大ナタをふる う改革派の知事も各地で登場するようになった。自らを市民派と名乗り、地域 の課題を熱心に掘り起こし、厳しく提起する議員たちも増加。そして今日では、 議会基本条例を制定する動きが加速しており、わかりやすい議会、開かれた議 会、そして議決責任を果たす議会の役割が高らかに宣言されるようになった。
 だが2010年、奈良市が公表した入札関係の調査では、43人もの職員が この5年間、市議から口利きなどの不当な圧力を受けていたことが判明した。 まるで時計の針が90年代の昔に戻ってしまったような強い憤りをわたしは覚 える。議会改革が唱えられる一方で、旧態依然の議員業たるものが隠然と跋扈 することを、奈良市の調査は物語っているのではないだろうか。
 近年は、議員の提案力や立法能力が重要視され、もちろんそうでなければな らないが、わたしはむしろ、地域の課題をきっちりと監視するような議員活動 に励めば、おのずと地についた提言力が備わってくるという仮説を温めている。 信念といってもよい。
 以下の話は、2010年11月、「みどりの政策セミナー」という香川県の市 民団体に招かれ、「統一地方選で香川を変えよう」と銘打った高松市内の講座で 講演したことを中心に、加筆して構成した。主催者は情報公開と議会改革をテ ーマに、2部構成で開催した。これら2つの分野の話を同時に頼まれたのはわ たしとしては珍しい機会である。主催した人々のなみなみならぬ思いがこのテ ーマ設定にあらわれたと思う。行政文書を住民が主体的に読み解きながら提案 力を高め、市民力でよりよい議員をどしどし送り出していく際のヒントにして もらえると幸いである。


■市民力を考える

 本日は第2部において、主催者のみなさんが「市民力で議会を変える!」と いう刺激的なテーマが掲げている。自治体を改革する市民力というものをどう やって培ったらよいだろうか。わたし自身のささやかな実践例について少しお 話しする。        
 ひとつは、「市民がつくるマニフェスト運動」という活動に2004年に参加 した。公約とかマニフェストはふつう、立候補する首長らがつくるものである が、こちらは、市民が公約を「逆提案」する運動であり、奈良市の市民グルー プ「なら・未来」の代表である木原勝彬氏が考案した。市民一人ひとりが公約 を掲げるということは、すなわち、「自分との約束」でもあるのだと木原氏は考 えた。そうすることにより、自分はこれからどんなまちづくりに参画して努力 していくのか、そんな約束でもある。そして常に「もし私が市長だったら…」 という視点で市政の課題を考えることが大切だと教えられた。 このように、環境保全や福祉などのNPO運動をしている人も、自分でマニ フェストを書くことによって、わがまちの財政を厳しく見つめることになる。 「さまざまな市民団体の結節点になる」と木原さんは話していた。わたしも誘 われて参加し、「公約」としては、中学生でも読める予算書・決算書づくりなど を提案した。
 もうひとつのわたしの実践であるが、2009年に奈良教育大学で、学生と 共に奈良市の財政白書をつくった(『学生が探る奈良市のお財布事情』)。あのと きのマニフェスト運動の「公約」、財政をもっと身近にしたいという自分との約 束を少しは果たしたことになるのかも。2010年からは学生のふるさとの府 県を対象に、再び財政白書づくりにチャレンジしている。市民力をアップする 試みとして、生涯学習など社会教育の場で応用してみたい。 市議会も「わがまちの財政白書」をつくってみてはどうだろうか。市役所の 広報紙に出てくる予算や決算のお知らせだけでは、市民はなかなか財政を身近 に感じることはできない。


■情報公開とは、何かを「こじ開ける」制度

 では第1部のテーマである情報公開についてお話する。公開制度をもとに開 示される行政文書というのは、ときの政権や首長にとって都合のよいことも悪 いことも出てくる。ある意味で、何かをこじ開ける制度である。そこに本質が あって、広報紙のお知らせなどの情報提供とは意味合いが異なる。 しかし情報公開と情報提供は、いずれも民主主義の発展に欠かせない。
 わたしは2008年、新聞社を退社してフリーになったが、記者クラブと関 係がなくなると、奈良市議会の委員会の傍聴席に座ることができなくなった。 一般市民と同じように、市役所1階のざわざわしたロビーにあるモニターの映 像でしか傍聴できない。議事のやり取りに出てくる行政の用語というものは、 ときには難しく、大事なことを聞き逃したりしないように、だれでも入室でき ることが望ましい。
 たとえば、同じ奈良県内にある大和高田市議会では、予算や決算の委員会に 一人でも多くの市民に来てもらおうと、両委員会を本会議場で開いている。よ って「部屋が狭い」などという奈良市会の言い訳は通用しないと思う。もちろ ん、高田市会も、そうしたからといって、すぐに多くの人が傍聴に来るという ことにはならない。けれど、「常に開かれていることが大事だ」と市議はいう。
 


■加工されていない「原情報」に接する

 さて、議会の情報の話から行政文書のことに話を戻すと、情報公開の最大の 特徴は、加工されていない「原情報」に接することだといえる。退社した今も 新聞は比較的読む方で、記事の行政ネタは有益だと感じることもあるが、わた しにとってはあくまで2次情報。よって、特に関心のある記事に出てくる事象 については、あえて情報公開請求をすることがある。そうして開示された文書 を入手したときから主体的なかかわりが出てくるように思う。
 もちろん、新聞記者もフリーの記者も、記事は足で稼ぐものだ。行政文書か らは地域社会の顔色などは当然、見えてこない。その点、わたしの仕事は自治 体議員の職務と共通する側面があるのでは。 ただし足で稼ぐといっても、何かをじっくり検証しようとするとき、職員の 言い分だけではどうも、納得いかないことが多々あった。特にわたしは新人記 者のころは、まちネタを得意としていて、行政の取材はとても難しく感じた。 相手が100倍も熟知しているのだから、うかうかしていると丸めこまれてし まう。くやしい思いもした。そんな体験もあって、行政課題を丁寧に検証して いくには情報公開制度はつくづく有用だと思う。
 ところが、行政の側にしてみると、住民にはあまり開示請求をしてほしくな いという本音がありそうだ。宮城県の前知事の浅野氏は「オンブズマンは敵だ。 しかし県政にとっては必要な敵だ」と語ったという。為政者はこのくらいの度 量がほしいものだ。正当な批判には甘んじ、透明な県政を推進していこうとい う気概が感じられる。
 今やほとんどの首長が「公開と参加」を掲げる時代になったが、前述したよ うに、職員は行政情報が開示請求されることを歓迎しない。ひどいときには公 開請求をした人の名前や請求内容が外部に洩れてしまうことさえある。こんな ことを考えていくと、よりよい情報公開制度をつくっていくには、やはりリー ダーの資質は大きいとつくづく思う。


■徴税の手続きを監視する

 オンブズマンと言えば、公費の無駄遣いを追及する人々で有名だが、わたし の知人の福西税理士(奈良市在住)は大阪で「税金オンブズマン」というグル ープをつくり、関戸弁護士ら有志と共に徴税の手続きが適正かどうかをチェッ クする活動に長年、取り組んでいる。「税金110番」というボランティアの電 話相談も毎年、開いている。 市民生活と密接にかかわる固定資産税(市町村税)などは、以前は秘密主義 で、自分のマイホームの土地評価の妥当性を納税者自身がチェックする仕組み が乏しく、路線価も非公開だった。今では随分、公開がすすみ、地方税法の改 正によって他人の評価額でさえ知ることができる。
 そもそも行政が住民から税金を強制的に徴収できる理由として、国民が「同 意している」ということが前提のはずである。よって税の使途だけでなく、課 税の手続きについても透明で公正でなければならないと考える。
 本日の第1部のテーマは「情報公開を使いたおす」というエネルギッシュな もので、さまざまな分野の行政文書を読み解き、主体的にかかわろうという主催者の強い意志が感じられる。ぜひ課税の手続きも監視して頂きたい。


■決算書の共有化はすすんでいない

 数年前のことであるが、奈良市議が公費で海外旅行をしているという情報を 得た。しかし市の決算書には「旅費」という名目では出てこなかった。会計上 は「負担金補助および交付金」として処理され、表向きは、海外の姉妹都市と の交流を促進する団体に対して補助金を支払ったことになっていた。よって決 算書を開いただけでは、市議の観光旅行の代金であることはわからなかった。
 その証拠は、議会が保管していた「旅行命令簿」でつかみ、報道することが できた。複数の議員たちは姉妹都市への友好訪問を口実に、実は姉妹都市以外 の外国の観光地に足を伸ばしていたのだ。市議会の情報公開制度を利用して判 明したが、市の決算書は住民が読んでもわかりにくく、共有化がすすんでいな い。


■「何人も」開示請求できるか

 香川県内の市町村の情報公開制度は、そこに住む住民や納税義務者以外の 人々も利用できるように開かれているだろうか。そうでなければ、一刻も早く 「何人も」開示請求できるように条例改正が必要だ。 たとえば、ある町で公費にまつわる何かの疑義が生じたとき、公文書を請求 できる人の制限がなければ、町外の人もいっしょに協力して調査かることがで きる。それにひとつの河川の流域というものなどは、水源から河口の海辺に至 るまで複数の市町村にまたがっているわけで、環境を監視する観点からも、一 部の市町村の情報だけが開かれているような状況は望ましくない。


■安易な廃棄は取り返しがつかない

 今は財政難ということで、公文書の保存年限が短縮化されがちな懸念はない だろうか。 わたしは、奈良県土木部がプロポーザル方式で発注した病院の新築工事の設 計について検証をしていたとき、関連の文書が廃棄されていて残念な思いがし た。 プロポーザルは価格によらない発注で、業者の技術力や提案力を重視して選 定するやり方だ。一定の意義があり、それだけに、業者選定の過程は開かれて いなければならないが、病院が完成する前に、選考に落ちた業者の技術提案書 が廃棄されていた。 技術提案書は「法人の競争上の地位」から守るべき情報だと国は言う。しか し、百歩譲ってそうだとしても、早期に廃棄してしまうと、発注の経緯に疑義 などが生じたときに、重要な証拠がすでにないということになる。 まずは保管が大事だ。公文書管理法がまもなく施行されるけれど、全国的に 公文書館の整備などに課題が多いようだ。公文書とは、民主主義を支える国民 共有の知的資源であると同法は位置づけている。


■公開を求めた文書が「ない」と言われたら

 地方紙の記者をしていたとき、雇用助成金の流用疑惑を調査した。ある協同 組合に交付された助成金の一部が役員の旅行代金に充てられていた。国の制度 だが、県が窓口になっていて、関係文書を請求したところ「ない」と言われた。
 ほしい文書が「ない」と言われたら、住民はなすすべがない。 しかし、「ない」と回答した商工課の隣りにある中小企業課に請求した文書が あった。同じ商工労働部である。文書不存在を通告する前に、せめて部内の各 課に照会してほしかった。
 総務相の片山氏が鳥取の知事をしていたとき、県民などからの情報公開請求 に対して安易に「文書不存在」を通告しないよう目を光らせたという話を聞い たことがある。それほど重大な事案なのである。
 国が管轄する水俣病の認定記録のうち、「文書不存在」とされていた文書が、 後に書庫から見つけ出されたということもあった。これは開示請求した人が異 議申し立てをし、情報公開審査会の事務局職員が当該文書を探し出した。これ を教訓にすれば、ほしい文書が「ない」と通告されたら、異議申し立てをする こともひとつの方法かもしれない。


■スキルの高い職員のすぐれた記録も

 情報公開というと、何か公費の無駄を暴くようなイメージが強いかもしれな い。確かにそういう側面はあるが、わたしは保健所の職員の業務日誌を入手し て、これをもとに精神科救急医療の課題を報道したことがある。
 公文書の中には、スキルの高い職員のすぐれた記録がある。情報公開は、福 祉や医療の課題を深く検証する過程でも非常に有意義な制度である。


■自治体議会の根っこを見つめる

 では第2部の議会改革の話をすすめる。わたしは90年代から、奈良県の地 方紙で新聞連載「議員の兼業シリーズ」に取り組み、奈良市議や奈良県議が選 挙区の自治体の工事を受注する構図を調査し、報道してきた。こうした議員た ちは選挙のときに、下請け・孫請けの業者を動員することができるので、有利 な戦いをすすめてきた。議会では大会派を組織し、議決権をたてに公共事業の 配分や職員の人事などにもくちばしを入れ、ボス型政治の支配が長らく続いた。  とにかく理事者側とのなれあいをやめさせ、合議の質を高めるためには、政 治倫理制度の確立がぜひとも必要である。 さらに執行機関の附属機関に議員が参加することを見直すことも大切だ。議 員がそうした審議会などの「指定席」を辞退する際には、よい意味での穴埋め として、公募の委員のワクをもっと広げるよう、理事者側に提案してもらえれ ば辞退の意義も深まる。


■地域の問題を監視すれば、提案力はおのずと備わってくる

 議会改革のうねりと共に、議員の「提案力」が重視されている。しかし、地 域の固有の問題をろくに監視することもなしに、有効な地域政策が提案できる だろうが。仮説だが、地域の諸問題や行政のあり方をしっかり監視すれば、提 案力はおのずと備わってくるとわたしは考えている。腰をすえて調査をすれば、 借り物ではない本物の提案力が養われていくと思う。
 わたしの90年代の主な取材テーマは、申し上げたように「議員と公共事業」 といったドロドロした地域の問題をずいぶんと扱ってきた。しかし、90年代 の後半から、国は地方分権に向けて、さまざまな整備に着手していった。そし て都道府県によっては、改革への大ナタをふるう知事があらわれるようにもな った。
 2000年の地方分権一括法の施行により、ついに機関委任事務が廃止され る。地方自治の歴史に、重要な一歩を刻むものである。それまでは霞が関の官 庁は、都道府県を国の出先のように見立て、通達を乱発してきたが、そんなこ とはできなくなった。福島県会津若松市の議会基本条例にも、機関委任事務の 廃止を踏まえて、「自らの責任において自治体すべての事務を決定する」という 文言が出てくる。
 この一括法により、条例制定権も拡大したし、「法令解釈の自治」ということ も実現した。議員立法の制定をはじめ、討論そのものの厚みにも期待がかかる。 この10年、みなさんの議会は、どんな歩みをすすめてきましたか。


■開かれた議会とは

 昔は、「傍聴人取り締まり規則」などという住民排除型のような規則が奈良県 内のあちこちの市町村議会にあった。最近では、傍聴者が議事を録音したり、 写真を撮影することができる議会も登場した。まだ少数だろうが、大きな進歩 だ。 先日の毎日新聞・奈良版では、生駒市議会が各議案に対する各市議の賛否状 況を、議会だよりで市民に知らせるという取り組みが出ていた。よいことであ る。これに関して、思い出されることがある。知人の市議はもう十数年前から 自前の「議会だより」で、どの議案にだれが反対し、賛成したのか、一覧にし て掲載し、市民に配布している。黙々と「議会の見える化」に取り組んできた というわけである。
 この人は、自分のことを「無所属市民派」と呼んでいる。自分で「市民派」 を名乗ることは大切だと思う。そうした人たちが90年ごろから次第に増えて きた。
 しかし、議会よっては、無所属の人たちの発言時間はとても短い。わたしが 住む奈良市でも同様で、「大会派主義」の弊害を感じている。
 そもそも会派とは何だろう。先に紹介した会津若松市議会の条例においては、 会派とは「政策を中心とした同一の理念を共有する議員で構成」と明記してい る。一方、北海道の栗山町議会は、「会派があると合意形成は難しいはず。仮に できたとしても妥協の産物にならないか?」(2010.6.19河北新報)という厳し い指摘をしている。それぞれに言い分があるが、会派について一度も論議しな い議会があるというのはどうしたものか。
 さて、開かれた議会という観点では、この栗山町の議会基本条例に、議会は 「争点を発見し公開する」という役割が明記されている。議事の本質がよくあ らわたれ良い言葉であり、八百長の議会からは「争点の発見」などはあり得な い。そして「公開」という文言には、自分たちのありのままの姿を住民によく 見てもらい、よく判断してもらおうという気概が伝わってくる。


■見えにくい議決責任

 わたしは公共事業における過大な支出についても取材をしてきたが、議決を する側の責任というものは、つくづく軽いものだと感じている。理事者側の提 案は、議決して初めて実行されるわけだし、そもそも、わたしたち市民の最終 的な意思決定を議会が行っているのだという実感がわいてこない。
 その上、かなり重要な契約なのに、議決が不要という場面もある。先日も、 奈良市の土地開発公社が買収後に20年近くも放置していた駐車場用地を、市 がようやく買い戻したが、わずか500平方メートルの土地を8億円という異 常な価格であるにもかかわらず、面積が小さいがために地方自治法の規定に基 づき議決は不要だった。こうした「議決事件以外の契約」について、議会はも っとしっかり監視していかなければならない。
 しかし、「議決」をめぐって、前進しそうなこともある。たとえば、市政運営 の最上位に位置する総合計画について、計画の段階から議会が積極的に関与し、 市民の視点に立った総合計画をめざそうという動きが奈良市議会にある。
 また、先ほどお話した栗山町議会は、総合計画において、独自の財政診断基 準を講じるよう、町に求めているという。夕張市の破たんを目の前で見ている からだろうか。財政健全化に向けて、国の指標だけに頼るのではなく、自前の 基準でもチェックしようというところに自律の精神が垣間見える。 岐阜県の多治見市も、基金の充足率などの独自の財政健全化指標を持ってい る。西寺さんが市長のときには、市長選の新人候補がマニフェストをつくる際 に、市のいかなる部署も情報提供を拒まず、すすんで協力するよう促す要綱づ くりにも取り組んだ。こんなことをしたら、有力な新人があらわれて、現職が 倒されてしまうではないか。そう感じた人もいるだろう。しかし、自分の当落 以上に、地域の未来というものをしっかりと見つめていたのではないか。 なぜ、こんな話をするのかというと、実はこの会場に「女性議員のバックア ップスクール」というボランティアの勉強会を巣立ち、議員になった人がいる。 団体や組織の支援もなく、こころざし一つで議員をめざす女性のための講座だ が、現職の議員が講師を買って出ている。でも、講義を受けている人は、自分 を蹴落とす新人候補かもしれない。それでも協力を惜しまず、選挙の闘い方と か地方自治を考える視点などを講義している。それが多治見の前市長の視点と 共通していると思われ、自分の当落を度外視して、地域にとって大切なことに 取り組んでいるような気がするのです。 そうした講座を手弁当で開催する力というのも、市民力と何か関係があるの かもしれない。


■丁寧に誠実な努力を続ければ、それが地域にとって裏目に出ることはない
 
 若手の議員らの資質をみがき、同時に市民参加の議会を盛り上げていくには、 「ミニ・パネルディスカッション」のような催しを随時、各地の公民館などで 開き、議員も市民も共にパネラーとなって、これからのまちづくりを論議した らいいと思う。 議員の日ごろの活動をどのように評価するのか。そして、どんな議員に一票 をたくすのか。難しい課題である。その方策のひとつして、議員に抜き打ちの 質問ができるような公開の場がほしいと思う。会計検査や監査などは抜き打ち だからこそ意味がある。議員の資質を判断する何かの目安になるし、ふいうち の質問に議員がにわかに答えられないとしても、若手議員などは大いに恥をか き、成長のきっかけにしてほしい。 三重県議会では、外部の評価にわが議会をさらすという取り組みも進めてい るようです。 今日、インターネットを開けば、全国の先進地の事例を瞬時に検索できる時 代になったが、すべてを鵜呑みにせずに、議員一人ひとりが主体的に考えてほ しいと思う。 また、地域の人材をもっと幅広く議員に登用していくためには、会社を辞め ずに立候補できるような仕組みが必要であり、商工団体などとの連携に期待し たい。 住民参加型のわかりやすい議会の一例としては、北海道音更町の「傍聴者も ひとこと事業」の資料を配布しました。これは三重県が発行する雑誌にわたし が書いた原稿です。質問の通告も根回しもないところが素晴らしく、住民の質 問に対し、議長が議員を指名して回答するところが大きな特徴です。 会期の見直しについては三重県議会の取り組みが参考になる。定例回を年2 回に改め、年間の総会期日数を約240日に増加したというが、これに伴う新 たな課題などは同議会のホームページで学ぶことができる。三重県議会は議会 改革のトップランナーとも呼ばれる。議員提案条例の数がものすごく多い。し かし、職員に対し実施した調査では「議会事務局の仕事をしたくない」と答え た職員がかなりいるという。こうした根本的なことを隠さず、調査結果をオー プンにしているところが、トップランナーたるゆえんだろうか。
 傍聴者に発言の機会を設けた音更町議会は、そもそも傍聴する市民が道内で もずば抜けて多いのだそうだ。議会の力、そして住民の参加意欲があって、こ んなユニークな取り組みが生まれたのだろう。
 議会改革は、本当は地味な取り組みだとつくづく思う。格好のいいことばか りではないだろう。けれども、丁寧に誠実な努力を続ければ、それが地域社会 にとって裏目に出ることは決してないと思います。
         

(あさの・えいこ/ジャーナリスト、奈良教育大学非常勤講師)
       =2011年・統一地方選を前に=

参考文献
 『情報公開ですすめる自治体改革』(浅野詠子著、自治体研究社刊)
 「検証・取材ツールとしての情報公開制度」(浅野詠子、日本新聞協会刊『新 聞研究』より )

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