袋井市議会での講演大要

分権時代の議会改革
〜市民と共に進めるわかりやすい改革を考える

        

浅野 詠子     
2010年10月     


■自治体議会の根っこを見つめる

 わたしは、議会改革の先進事例を追いかけるというよりは、足元の市議会、県議会の矛盾を拾い上げてきた。新聞記事の最初のシリーズが90年代に取り組んだ「議員の兼業」。これは奈良市や橿原市、県議会などを舞台に、議員の関係会社が選挙区の自治体が発注する工事を受注する構図を実名で報じた。
 なぜ今、こんなことを話すのかと言えば、プロフィールを話しているのではない。わたしの仮説とも信念ともいえるが、地域の課題を徹底的に監視すれば、おのずと独自の提案力が備わると考えている。議員も記者も。
 今は、議員の政策提案がもてはやされる時代である。しかし、私は監視と提案は議員活動の両輪であると思う。これが本日のお話のひとつの主題になる。
 わたしが住む奈良市議会ではひところ、定数44に対し10人もの市議が市の工事を受注していた。いわゆる兼業議員。名義隠しというやり方が横行した。ではどうしたらいいのか。厳しい政治倫理条例はもちろん歓迎される。だが自治法には、議会の「特別多数」、つまり三分の二の議決で兼業議員は失職する仕組みがある。いわば自律性を重んじる規律だが、行使された実例は非常に少ない。
 いずれにしても、合議の質というものを高めるためには、公共事業との癒着のようななれあいを一刻も早く改称しなればならない。
 また、工事などの契約だけでなく、審議会など、市長の附属機関への参画を見直してほしい。
 もし議員が退くときには、そうした審議会なりに公募市民がもっと参加できるように提案して頂きたい。すると、自分たちが退く意義というものが、よく市民に伝わるのでは。

■分権改革と議会

 90年代の後半、わたしが地域でこんなドロドロしたことを調査しているうちに、やがて国の方が先に、地方分権へのうねりをつくって具体的な制度となり、近づいてきた。時限立法の分権推進法が国会の全会一致で成立し、政府の地方分権推進委員会が次々と勧告を出し、2000年、ついに分権一括法が施行された。
 とくに「機関委任事務の廃止」は戦後の地方自治の歴史に大きな一歩を刻んだことになる。議会改革で有名な福島県会津若松市の議会基本条例にも、そうした下りがあり「自らの責任において自治体すべての事務を決定する」とうたいあげている。
 いうまでもなく、「機関委任事務」といのは、都道府県を国の出先機関のようにあしらい、公選の知事に下請けをさせかねない業務が多々あった。これを廃止したのは、旧自民党政権の置き土産でもある。あの当時は、霞が関の官僚のうちかなりの人々が「まさか機関委任事務がなくなるなんて」と考えていたらしい。
 その分権一括法が国会で審議されたときの自治相は野田毅。昨年の7月、総選挙を目前にひかえて自民の敗北が大いに予想されていたころのことだが、あるシンポジウムで野田氏がパネラーに招かれた。もう一人のパネラーで国会担当の記者が分権一括法の審議を回想。野田自治相の答弁を紹介し、機関委任事務の廃止などの分権化を鉄道のポイントの切り替えにたとえ、「すぐに効果は出なくても、やがて大きな力になり、振り返れば昔の線路ははるか彼方に」と。見事なたとえである。
 これらの改革を総称して第一次分権改革といい、議会の条例制定権が拡大され、法令解釈の自治もそなわった。しかし、肝心な税源移譲が残された課題である。


■「市民派」を名乗る議員の登場

 その時代の前後から、わたしの知人に「市民派」を名乗る市町村議員が次第に増えてきました。自らを市民派と名乗るところに大変な意義がある。まじめな人々。しかしこういう人は無所属が多く、議会でも孤立しがち。わたしの住む奈良市では無所属市議の本会議での発言時間はものすごく少ない。有権者は会派の名前を書いて投票したのではないのに。
 ある市民派無所属の知人は10年以上、だれがどの議案に賛成したのか反対したのか、一目でわかる一覧表にしてビラに書き、住民に知らせてきた。今でこそ、押しボタン投票の電光表示とういものが普及しつつあるが、こういう人々がいわゆる「議会の見える化」に黙々と取り組んできたわけだ。
 今では、徹底公開ということで、東京の国分寺市議会や北海道の福島町議会などでは傍聴者が議員の写真撮影もできて、録音の許可もされると聞いた。奈良県では、そう遠くない時代に、「傍聴人取り締まり規則」という掟が各市町村にあったが、ひどい名称だった。わざわざ傍聴にやって来た住民を「取り締り」の対象に見るなんて。
 さて、「公開と参加」をかかげない政治はもはやないが、情報公開と情報提供とはどこがちがうだろうか。たとえば、政務調査費の使途を一円単位で閲覧に供するとしたら情報提供であり、住民からの請求があれば開示しましょうというのは情報公開ということになる。どちらにも一長一短であり、コストの問題があるので、それは議会の工夫次第だ。
 いずれにしても、市民が「見たい」「知りたい」という情報があり、開示したとして、その次は、難しい用語について質問があれば親切に回答することが大事だと思う。つまり「知る権利のサポート」という姿勢が議会にも行政にも必要ではないか。
 この公開という理念について、印象深いのは、北海道の栗山町議会基本条例の中に出てくる「争点を発見し公開する」という文言。八百長のなれあいの議会であったら、「争点の発見」という発想は出てこないだろう。ぶっつけ本番、即興の議事の本質がよくあらわれた良い言葉だと思う。そして公開。住民にありのままの姿をよく見てもらい、よく判断してもらおうという気概が伝わってくる。
 わたしは平成18年にこの条例ができたとき、当時の議会事務局の局長と電話で話をしたが、この電話取材がきっかけとなり、議会改革にまつわるさまざまな情報提供をしてもらった。どんな縁でも、大切にしようとする意欲が伝わってきた。先日も会津若松市議会に聞きたいことがあり、電話で問い合わせをしたら、たまたま電話をとった職員が、「住民の声をかたちにする議会の取り組みというのは、どういうことなのか」と、懇切丁寧に説明してくれた。ひと勉強したという気分にさせられた。
 しかし議会改革のトップランナーと言われる三重県議会が実施した調査では、職員の相当数が議会事務局の仕事をするのを敬遠するそうだ。議会がこんな調査をし、公開していること自体すごいことであるが。
 これからは益々議員立法に期待がかかるが、特別な政策法務のようなスキルも要るだろう。だが、職員には人事異動という宿命がつきまとうし、知事部局や市長部局の都合もある。するとこれからの議会事務局の職員は、もっと柔軟に人材を集めたい。NPOや企業退職者、その他いろいろな人材を補佐人とかアドバイザーにしたらどうか。質の高いボランティア人事も大切ではと思う。

■議決責任とは

 住民にとっては議会の役割そのものか見えにくいということがある。そこでもっとも根幹にある議決というもの、議決責任について少し考えてみたい。
 わたしはこれまでの取材は主に公共事業を担当し、総合治水を追求してきた。それで袋井市会の委員会で大和川の治水対策を視察されたと聞き、とてもうれしく感じた。公共事業というと奥の箱モノ建設が無駄の象徴として指摘されるが、わたしは用地の取引について、かなりの時間を費やして調査をした。それは外郭団体の土地開発公社の不良資産のことである。
 この袋井市においては、2009年度の公社保有地の簿価は17億8200万円。うち大半が工業団地造成の先行取得であり、わかりやすい状態にある。しかし、全国的には、この公社の経由した公用地の先行取得制度がかなり悪用されてしまい、無駄な土地が買われて大変な財政負担が生じている。
 わたしの奈良市では200億円近い塩漬け土地がある。少し驚かれるかもしれないが。市では新しい市長が誕生し、公社の問題を解決させなければいけないと、外部の識者で構成する委員会も立ち上げている。わたしの調査では、必要のない土地の買収には元議長の関与もあった。
 最近になって奈良市は、20年も前に土地開発公社に買収させ放置していた駐車場用地をようやく買い戻したが、わずか500平方bの土地を8億円もの高値で市が買い戻した。しかし、こんなに高い買い戻しをしても、法的には議決が不要である。地方自治法の議決要件になるのは、不動産であれば2000万円以上、かつ5000平方b以上の買い物。よって、8億円もの高価な買い物をしたのに、面積が500平方bと小さいばかりに議決が不要になっている。実際には面積が小さい事案に重大な問題をはらんでいることがあり、議決不要というのは疑問だ。
 そこで、議決事件の拡大という取り組みが注目される。早くは三重県議会が、「議決事件以外の契約の透明性を高める条例」というものをつくった。長い名称だが、しっかり監視しようとする意欲が読み取れる。三重県議会は、議員提案の条例を16本ももっているそうだ。
 もうひとつ、議決の範囲の拡大に取り組みについて紹介する。先ほど「議員の兼業」連載に触れてさんざん悪口を言った奈良市議会であるが、最近、総合計画というものに、議会が積極的にかかわっていこうという動きがある。
 総合計画のうちの基本構想と基本計画を議題とする審議が現在、市議会で行われている。「計画の段階から積極的に関与したい」という市議の提案で実現したが、ひとつの進歩である。当局との根回し的な動きはあまり見られず、むしろ執行部側の計画案に対し、一から審議していこうという機運があって、かなり議会の修正が加わるくもしれない。先日も参考人の聴取と質疑といのうが特別委員会であった。「なら未来」という市民団体は公聴会の開催を求めている。実現すれば、議会、市長、住民の三者の関与が明確になった市の最上位計画というものが出来上がるかもしれない。この市民団体の照会に対し、法政大学教授の廣瀬克哉さんは「基本計画段階において、議会の修正権に法的な制約は存在しない。提案権が長に専属しているのは予算だけ」と明快に回答している。
 自治体の総合計画に対しては、栗山町議会が「総合計画の策定と運用の条例案」というものをつくっている。その中で注目したいのは、「財政の健全度を判定するための指標を町長は定める」という条文案だ。目の前で夕張市の破たんを見てきたからだろう。財政の健全化をおしはかる指標は国まかせでなく、自前のものを要求している。

■議員の資質をみがく

 本日は冒頭に、行政の監視と政策の提案は近い関係にあると話した。持論だが、行政などを本気で監視すれば、借り物でない提案力がおのずと備わると考える。
 今日の議会改革を見れば、政策提言ばかりを重視している。逆に「議会は監視さえしておればいい」という意見もある。わたしは双方が必要だと思う。なぜなら、地域を厳しく監視した者にしか提案できない独自の施策というものがあるはずだからだ。調査なくして本気の議決はできない。
 その議決責任を果たす議員の資質向上は住民の願い。さまざまな方法があるだろうが、若い議員らには公開の場で討論をして大いに恥をかいて発奮して勉強してほしいと思う。
 関西で最初に議会基本条例をつくったのは、大阪府の熊取町議会。ある市議が主催する勉強会で視察に出掛け、わたしも同行した。出前議会などにも熱心で、公募の市民とパネルディスカッションをする機会を設けているという話だ。「ふいの質問に答えられるよう、議員が自ずと勉強するようになる」と議長は言っていたし、「住民の質問に逃げたらあかん」とも。
 会計監査のようなものは抜き打ちでやることに意味があるように、公開の場で議員に抜き打ちの質問ができる制度があればいいと思う。
 また、議員の資質をみがくには、厳しい外部評価の目ににわが身・わが議会をさらすというのも有効だと思う。三重県議会が取り組んでいて、「議会改革諮問委員会」という名称。これは議会基本条例に明記されている附属機関だ。議事録を見るとこんな意見があった。

 「私たちがテレビを見るときは、新聞やテレビガイドを見ることで、何曜日の何時から、どんな番組があって、山場や見どころはどこか…ということを事前に確認できますね。議会で、そのような情報があるのでしょうか。例えば、福祉に関心のある人だったら、関連する議題がいつ、どこで扱われ、山場を傍聴するには何時ごろ行けばいいかなどの情報があれば「行ってみようか」と思うかもしれません。そのようなアクセスを促す情報がないために、議会としては全面公開しているにもかかわらず、一般の方からブラックボックスのように思われている」(三重議会改革諮問会議委員発言より 2010年.1月)
 議会は「ブラックボックスみたい」と厳しい。これは神戸新聞の元記者で現在、神戸大学の准教授をしている相川康子さんの意見です。わたしも同感。住民が近づきたくなる工夫というものがもっと必要であって、議会の資質も磨かれていくだろう。
 いろいろ、先進地の話をしたが、先進地の事例を鵜呑みにせずに、議員一人ひとりが主体的に考えることも奨励したい。たとえば今日、多くの議会が議会基本条例を志向し、理事者側の反問権を設定することが重視されている。議会の活性化に大いに貢献するだろう。
 しかし昨年、千葉県の市川市を訪問したら議員がこんなことを話していた。取材メモをそのまま紹介します。「行政というのは、ある意味で不健全さが解消されていないプロの集団だと思うのです。つまり、やっていることの半分は正しいかもしれないが、半分は組織防衛のプロでもある。その点、われわれ公選の議員は、よい意味でのセミプロであり、なぜよい意味かと言えば、生活者の代表でもあるから。官僚機構と一体となった理事者側に反問権をわたさなくてもよいのでは。もっている情報量がちがうのだから。膨大な情報をにぎる行政の側が反問権を乱用されたら困ります」
 もちろん、反問権の制度がいいとか悪いとかの論議をするために紹介したのではないが、一人の市議が自分の言葉で流行りの制度に疑問を投げかけていることが面白いと感じた。

■改革の仲間を増やす

 今や全国的に議員の定数削減が住民に歓迎されているようだが、わたしは賛成できない。議員全員が本気で改革を進めれば、報酬は安いとさえ思う。減らす事ばかりでなく、ともに改革を進める仲間たちの発掘も大事だ。
 小学生や中学生らを対象にした「チビっ子議会」、模擬議会というのも意外に侮れないる全国の事例の中には、子どもの指摘によって、通学路の危険カ所が明るみに出て、実際に予算ついた自治体もある。地域で模擬議会が開かれていることは、新聞記者をしていたときも知っていたが、そんな行事は新人の記者が取材すればよい話だとたかをくくっていた。ところが、子どもにしか見えない視点をもとに予算化する自治体があらわれるなんて、目からウロコ。
 ある人は中学生のときに模擬議会を体験し、「ふ〜ん、市会議員って格好いい職業なんだ」と実感し、最年少の市議になった。後に県議になり、今は代議士。今は分権の時代だから、市議も代議士も同格だと思うが、よい話だ。これは帝塚山大学の中川幾郎教授から聞いた。

■ 住民参加型のわかりやすい議会とは  

 進んだ議会になると、傍聴者が発言する機会を設けている。先ほど話した「傍聴者取締規則」の時代と比べると隔世の感がある。北海道の音更町議会はことしから本会議の休憩時間を活用して、傍聴者が発言できるようになった。それも住民が言い放しというのではなくて、議長が担当の常任委員長などに答弁させる。
 実は昨年10月、十勝の議長会の研修に招かれ、アメリカのバークリー市議会には「オープンマイクスピーカー」という住民が発言できる制度があることを少し紹介したところ、「これだ!」とひらめいた音更町の議長や町議らが直ちに制度化してしまった。バークリーのことは当地を視察した市議の報告書などから知ったが、視察はもう18年も昔の話。
 音更町議会が取り組む「議場でひとこと事業」には、多くの住民が多様な意見を寄せている。たとえば、住民が切実な請願や陳情をしても、議場ではおいてけぼりのような思いにさいなまれる。議会によっては請願者や陳情者が議会で発言できる制度がある。もっとわたしたちの「「願意」をくんで…という意見だ。
 また委員会をせっかく傍聴しようにも、予告の態勢が不十分であり、直前になって知らされることが多いという苦情も飛び出した。この「議場でひとこと事業」は、通告の根回しもない真剣勝負のやり取りが特徴だ。インターネットの動画で公開されるから、住民の側もおかしな質問はできない。抜き打ちの質問にきたえられ、議員の資質はおのずとみかがれていくだろう。
 先ほど、奈良市総合計画に積極的にかかわっていこうとする市議会の取り組みを紹介したが、傍聴席の改革はあまり進んでいない。わたしが新聞記者をしていたときは委員会に記者席があり難なく傍聴できたが、フリーになると入室はできず、庁舎一階のロビーでモニター画面を見るしかない。先日も総合計画の参考人質疑をモニター画面で見ていたら、近くに企業の音声広告ががんがんと鳴ってうるさくて仕方ない。ツイッターに書いたらすぐに委員長の耳に入り騒音は直ちに改善された。けれども委員会の傍聴そのものは難しいままだ。今や進んだ議会では傍聴席の住民が意見まで言える時代。それを委員会を傍聴させるとか、させないとかの次元で論議していたら、本当に奈良市会は遅れてしまうと案じる。
 同じ奈良県でも大和高田市議会は、傍聴する市民を増やそうと本会議場で予算・決算委を開催している。だから「部屋が狭い」などという奈良市会の言い訳は通用しない。高田の市会は、これによりたくさんの人が傍聴に来たというわけでないが、まずは開く、そしていつも開かれているという姿勢が何より大事だ。
 それと、市民が親しみを感じる議会として、一度質問した事案がその後どうなったのか、一年後、二年後…と経過を説明してもらおうと大変わかりやすくなるだろう。同時に、そうした問題に対して自分の立場や意見が変更になったときも公表してほしいと思う。
 会期の見直しが注目され、ついに通年議会という取り組みもあらわれた。全国に目をやれば日本列島の北から南まで改革は目白押したろう。けれども、住民にとってのわかりやすさを、いつも念頭に考えてほしい。
 地域の問題に真剣に格闘するということは格好のいいことばかりではないだろう。しかし、丁寧さと誠実さをもって議員の方々に苦労して頂けば、それが地域社会に裏目に出ることは決してない。
                   

=袋井市議会・第一委員会室にて=


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