インターネットと人権


          

浅野 詠子


  
 インターネット社会と呼ばれる現代で、いかに豊かな人生を送るか。その性質をよく知り、市民が主体的に使いこなすためには、確かな技術支援が必要であり、自治体の人権政策とも密接に関連する。
 日ごろは情報の洪水に翻ろうされがちである。そうかと思えば先日、議会の多数決のあり方を深く追求したドイツ人研究者の今日的評価を知ろうと、インターネットの日本語検索をしたところ、ほとんどヒットしなかった。こういうときは、この世界の底の浅さを感じるものだ。便利だが、どこか危ない。
 聴覚障害をもつ人々にとってインターネットは「社会参加と自立への革命的ツールである」と、ある新聞の投書欄に喜びの声が出ていた。その一方で、障害者を侮蔑した悪質な匿名情報が掲示板に載ることがある。
 インターネットと結ばれ多機能になった携帯電話であるが、案外と災害に弱い。ひとたび大地震などの災害が起こると、携帯電話の利用が殺到して通話が困難になり、まちで激減する公衆電話の前は長蛇の列になる。
 病院や福祉施設でも、公衆電話の台数が減っている。身体障害者施設に入所している脳性まひの人から、「携帯電話よりもカード式のプッシュダイヤルの公衆電話が使いやすい」という話を聞いたことがある。携帯電話の爆発的な普及の陰で、だれかがとても困っている。
 子どもを狙った凶悪事件を契機に、携帯電話の防犯機能に過大な期待が寄せられている。公共団体は不審者情報を積極的に募るようになり、寄せられた情報をインターネット上に公開することが当たり前になった。防犯という大義名分の下、「要注意人物」のレッテルを貼られる人が増えていく。息苦しい社会である。
 はがき、封書、ファクシミリ、固定電話、携帯電話、公衆電話、電子メール…、そして面談。「それぞれのメリット、デメリットを考えてみよう」−。私はある中学で昨年、人権学習の講義をしたが、こんな質問を生徒たちに投げかけてみた。この数十年の間に、人間同士のコミュニケーション手段は多様化したが、温かな関係は深まったのかどうか。生徒の大半が電子メールによる通信手段をもち、うち何人かは自分のホームページを立ち上げていたが、言葉のやり取りで友達の傷口が広がってしまうのはどのような場面であるか考えてみようと呼びかけた。
 大人の社会はどうなのか。インターネット上に差別表現が蔓延していることを放置はできないとして、橿原市内を拠点に活動する「インターネットステーション」(市町村啓発連協)の人々が四年ほど前から悪質な文章を拾い出し、問題提起をしている。被差別部落の地名や地番を書き連ねたもの、障害者や在日コリアンをからかったものなどがあり、奈良県に関するスレッドでは二年足らずの間に差別的な意図や悪意のある二千七百三十件の文章が拾い出された。体の底から込み上げる怒りを感じながらの作業だという。
 そこには匿名の発信という共通した特性がある。不特定多数の人々が心に負う傷を想像し、自己の快楽や抑圧のはけ口にする明確な悪意が備わっていると言えよう。内部に潜んでいた悪意の因子のようなものが、匿名という手段を得て増幅し具体的な形となって現れたのだろうか。まるで覆面強盗のように相手の心に押し入り、人間の尊厳を傷つけ、心の安らぎを奪う。
 障害者を侮蔑したネット上の表現は、反論のできない弱い立場を狙ったものばかりでなく、乙武洋匡氏のような行動的な青年に向けられることがある。つまり、弱者が攻撃されるだけでなく、個性的な存在への敵意のようなものがあり、ハンディを人生のプラスにするようなみずみずしい力に対しても、歪曲した憎悪が浴びせられる。加害者の病理は深く分析される必要がある。
 匿名の者にとって都合がよく、しかも書いた文言が人目につきやすい公衆の場としてはトイレがある。インターネットのない時代から賎称などが書き込まれてきた。ある地域では、問題にふたをするかのように、「落書きは消せばよい」と投げやりな対応がとられたらしい。だが、これがインターネットを駆け巡る表現であれば、いかにひどい差別表現やプライバシー侵害情報であっても、完全に消去するのはほとんど不可能とされる。「消せばよい」では済まされない世界である。
 一方、匿名の情報が政治家や官庁の汚職を明るみに出し、民主主義の進展に寄与することがある。労働者の内部告発で企業の不祥事が洗い出されていくと、相当な消費者が保護される。医療過誤や病棟における不当な身体拘束、あるいは老人ホームでの虐待について、匿名の通報がもっと容易になれば、人権の状況は変わってくる。社会の制度の谷間にある〈声なき声〉というものが、インターネットを活用してくみ上げられていくためには、発言した人たちが不利益を受けることのないよう徹底して保護される必要がある。そこに、憲法が要請する「表現の自由」や「通信の秘密」の意義を見出すことができよう。
 さて、不特定多数の者に情報を発信するという点で、「インターネットは一種の放送である」と位置づけ、発信者のモラルを促す意見が出ている。そのためには、教育によるねばり強い長期的な取り組みが不可欠である。学校だけでなく、社会教育や生涯学習との連携が不可欠だ。それでも公民館学習などには、ある意味で意識の高い人がやって来るのだから、職場では雇用主の義務として労働時間内にインターネット教育を盛り込むことが望ましい。
 市民一人ひとりが最新のコンピューターと主体的につきあうためには、技術者の支援というものが欠かせない。単純に機器の操作を覚えればそれでよいということだけではなく、心の底からの納得や批判ができてはじめてインターネット社会の本物の一員と言えるのであろう。
 奈良市が二年ほど前、専門の大学教授を生涯学習センターに招き、市民向けのインターネット講座を開いたが、私も興味深く拝聴した。インターネットの発祥の地は米国であり、一九六九年、核戦争に耐えうるコンピューターネットワークの構築を目指して開発が始まったという。日本では一九七五年、国立大学同士の計算機を接続したのが始まりと教えられた。商用としてよりも、むしろ学術や遊びの発想をもとに今日の隆盛を迎えたと教授は言及した。
 なるほど、これほど歴史が新しいものであり、野放図に広がった人権侵害やプライバシー侵害に対し、インターネット施策はなかなか追いついていけない。サイバーパトロールやハイテク犯罪対策、架空請求などの消費者救済も新しい政策分野だ。ネット上の詐欺などは対策を講じれば講じるほどに、悪質の度合いが進化すると言われる。差別表現などにおいても、あからさまな表現は減少しているように見えても、意味するところは同じの隠語が飛び交うのであれば、それも悪の進化と言えよう。
 京都府宇治市では九九年、約二十一万人分の住民データが電子処理を外注する過程で盗まれ、インターネット上で売買される事件が起きたが、これを教訓に市が取り組んだセキュリティポリシーの水準は向上したと聞く。ユニークなのは、事件当時、コンピューター管理を直接担当し矢面に立っていた市の元管理職の人が「先生」となり、電子自治体の研修などで講義を担当しておられることだ。失敗者から教わることほど身につくものはないだろう。私もこの方の講演を和歌山市内で聞いたが、「もし個人情報の漏えいに気づいたら、真っ先に行うべきことは公表である」とし、「セキュリティ対策に終わりはない」と本質を突いて語っていた。
 こうした施策と連動し、とりわけ迅速な措置が必要になるのは、インターネットを介して傷つけられた人権の回復である。掲示板の管理者に対し抗議ができずに悩む人、忘れようとしながらも精神的後遺症を宿す人、そうした「情報弱者」と位置づけられるような、目にはよく見えない存在をしっかりとつかむことこそ、行政や議員の本分ではないだろうか。
 そして最後に頼れるものは、私たちの眼力ということになる。
 インターネットを一種の放送に見立てれば、市民が情報と主体的にかかわるメディア・リテラシーの分野が注目される。情報活用能力とも訳されるが、日本ではフェミニズムのうねりの中に先駆的な取り組みを見つけることができる。七十年代後半からの動きであるが、当時のテレビコマーシャルに描かれていた固定的な性別役割分担を綿密に洗い出し分析する女性グループの活動があった。このころは、新聞の事件記事においても、被害者や加害者が女性であるというだけで、容姿の特徴を強調する記事さえあった。
 青少年への有害情報の氾濫は、ネット社会の進展とともに深刻の度合いを増しているが、「性」の表現そのものが有害なのでなく、生まれながらの性の違いで人生が決定する不条理を助長する表現こそが有害である。
 ジャーナリズム一般においては、どのようなメディアであれ、リテラシーの作業を突き詰めていくと、表現する者の思想の奥までえぐり出すような試みになるはずだ。たとえば、この記者は(あるいはこの番組の制作者は)「社会をどうしたいと考えているのか」と想定することさえ必要になってくる。ある外国では「統計の数字は簡単に信じてはいけない」とも教えている。ましてインターネットの情報は、発信者の正体がまったく不明ということが多いから、客観的真実など乏しいものと思ってつきあった方がよい。
 もちろん私たちは情報を受け取る存在でなく、インターネットを介してだれもが世界中に情報を発信できるようになった。裏返せば、情報の受け手は無限であり、自分ではっきり意識しないまま加害者になることも起こりうる。
 「自分はいつもだれかの足を踏んでいるかもしれない」という謙虚な想像力で発信をすれば、インターネットに人間の心が織り込まれていくかもしれない。三年ほど前、高市郡明日香村内で開かれた人権啓発の学習会において、部落解放運動に携わっている大阪の方がこれに近い視点で発言をしていた。日ごろは高齢福祉施設の運営にかかわっているが、知らず知らず高齢者に対しどこか高圧的な態度をとっていたと省察を述べられた。女性差別というものにも、まったく加担しなかったとは断言できないと率直に申され、その上で人権論を展開したので、聴衆には分かりやすい話であったと思う。

        

(2007年 『人権教育こんなこと』=奈良 人権・部落解放研究所刊=より)  


                              
 

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