講演録 「分権社会の議員展望」




                                      

浅野 詠子
2006年7月
                               フィフティ・ネット主催
                                     講座「女性を議会へ」
会場 大阪府ドーンセンター


                                                 

 私は、「自治・分権ジャーナリストの会」の一員であり、地方分権の推進こそ重要な政治課題であるとの思いで新聞記事を書いております。2000年に地方分権推進の一括法が施行され、国と地方は制度上、対等・協力な関係を歩みだし、私も地域から地方分権にまつわるさまざまな課題を報道してきました。私自身、この活動に参加して数年が経ちますが、なぜ、地方分権への関心を持ち続けてこられたかといいますと、ひとつには既成政党への飽き足らなさという思いがあります。県外を見渡せばここ数年、「改革」への大ナタを振るう知事が登場してきました。分権を私自身の課題に選んで良かったなと思うのは、改革者と出会えたときでありますし、日本の地方自治をもっと強力にしていきたいという思いで今日まで関心が継続しました。
 本日の講義は「女性議員のバックアップスクール」であり、私がこれからお話することは、直ちに当選に結びつくものではないかもしれません。けれどもここに集まってきた方々が「われこそ、議員を名乗るにふさわしい」と確信を持ち、情熱が継続するような契機となって何かを持ち帰ってもらえれば大変うれしいです。
 このスクールは歴史もありますし、受講者が実際の選挙で当選する比率も高いと聞いています。もちろんこれまですぐれた講師陣が良い講義をしてきたことなので当然ではありますが、こういうところへ来て学ぼうとするピュアな精神があるのですから、すでに半分くらい当選が約束されていると思うのです。他人から言われて立候補する訳でもない、中央の政党からの指示でもない。「私こそが女性政策のかなめとなり、政策立案をしていくのだ」という強い思いが生じた時点で、努力の継続は半ば約束されていますから、当選率が高いのは当然と見ていました。
 何より、素晴らしいなと思ったのは、現職の議員さんたちも講師になりますが、考えてみたら講師の前に座っている受講者は来年の統一地方選挙で講師の強力なライバルになるかもしれない。しかし惜しみなく、講師の議員たちは100パーセントの力を出して講義をする、ピュアな精神。ジェンダーの問題意識を持った議員を一人でも多く増やさなければならないという大きな理想があるゆえ、現職の議員たちがここに駆けつけてきているのだと思います。

■分権元年、強い市町村とは

 まずレジュメの「分権元年」の状況から触れます。分権一括法の施行の年をこのように設定してみましが、ご存じのように、1995年に地方分権推進法という時限立法ができて、その後、96年には機関委任事務という国が知事を出先機関や下請け機関のように見立てた制度の廃止勧告が歴史的になされ、2000年には四百数十本の法令改正による分権一括法の施行で、日本の社会は分権社会へ歩み出したわけです。
 この当時のことですが、とても残念なことがありました。分権一括法により、市町村も多くの条例改正の必要に迫られたのですが、国と地方の対等・協力な関係づくりに関した制度の新設のみならず、地域住民との関係においても権利を制限し新たな義務を課すような制度は必ず条例に基づいて実施しようという原則が確認されたわけです。ところが私の住む奈良県は、47市町村(当時)のうち37市町村までが自分たちで条例をつくらずに外注したのです。まちの重要な法律なのに法令専門の大手出版社などに丸投げしたのです。
 しかし小さい市町村には言い分があって、ひとつの課で多くの仕事を兼務し、人手も足りない。財政課のような仕事をしながら議会事務局の仕事をする職員もいる。福祉も男女共同参画の啓発も兼任することもある。とても条例など自前でつくるゆとりがなかったと聞いたこともあります。
 そうした状況を市町村合併のうねりの中で考えますと、国はこれまで「アメとムチ」を使い分け半ば強制的に合併を進めてきたことは自治の後退につながりかねず、批判の余地はあるのですが、自分たちの条例さえも外注するようなぶざまな状況から脱して、「強い市町村をつくる」ための市町村合併であれば私は必ずしも反対しません。本県では住民投票の結果などにより合併の推進派は敗退するケースが相次いでおり、確かに合併は自治の侵害との指摘が妥当なケースもあるでしょう。ただし、私自身、取材を通して条例の外注という遺憾な事実を目の当たりにしていますから、分権時代にふさわしい強い自治を実現することを目的にした合併もあっていいと思う。気になるのは、合併が「よい」とか「わるい」とかを住民との十分な対話なしに決めてしまうことです。市町村議員一人ひとりが責任を持って合併のメリット・デメリットをじっくり天びんにかけて議論をして頂きたいと思います。

■人々の不幸を防止する自治体

 戦後、米国の占領下で日本の地方税制度を確立するに当たり尽力したシャウプ博士は、「自治体の仕事とは何か」を明確に言及していますが、最も印象深いのは、「人々の不幸を防止する仕事だ」との指摘です。
 このことと関連してお話したいのことがあります。私は奈良市民であり、一昨年の秋に、小一の女児がわいせつ目的で誘拐され殺害されるという凶悪事件が近隣のニュータウンで発生しました。その事件を堺にまちは今、防犯一色という様相です。ですから青少年に対し性的な暴力を行い刑務所を出所した人の個人情報が居住地の警察に提供されるという新たな措置については、ほとんど無批判のように歓迎されていると思います。市街地で起きたひどい凶悪事件ゆえに、人権の観点からは冷静さを欠く議論が進行しているのではないかとも感じます。
 冒頭の「不幸を防止する仕事」という視点において注目したいのは、小林薫被告の情状鑑定が採用されたことです。この猟奇的な事件を前に、多くの識者は精神鑑定の採用を予測したにちがいありません。ところが、私はある自治体の福祉部局の職員に「被告の弁護側が精神鑑定を求めずに情状鑑定の実施に力を尽くしたことは相当意義がある」との意見を頂戴しました。そこで弁護士に会い、取材をしました。ご存じのように精神鑑定と情状鑑定とは180度異なりますよね。精神鑑定は犯行当時の心神喪失状態や心神耗弱状態を鑑定し、刑事責任能力を判定するものですが、情状鑑定というものはお母さんのおなかにいたときからの環境、生まれたときからの環境、不幸な生い立ちの人間の人格が一体どのように形成されてきのか、科学的な手法も交えて調査し鑑定します。私に情状鑑定の意義を教えてくれた職員は、精神保健福祉の観点においても、凶悪事件が発生するたびに安易に精神鑑定が採用されることを厳しく批判し、安易な精神鑑定が精神障害者に対する偏見を助長し社会参加の妨げになることを憂慮していたのです。
 多数の児童が一度に殺傷された大阪の池田小事件の宅間死刑囚に何度も接見し、詳しい調査をした心理学者が先日、奈良市を訪れ講演しましたが、宅間死刑囚は幼少のころに肉親からひどい虐待を受けており、仮に現代の児童福祉の法令の基準で適正な対応が行われていたら、彼はとうに自治体の福祉の措置を受け、劣悪な家庭環境から引き離すべき対象の子どもだったといいます。30年も時が経過すると福祉の法令は随分と異なるといわれます。
 さて、果たして小林薫被告も宇宙のどこかから突然、降ってきたような人なのでしょうか。ことに女性に対する暴力という観点でこの事件を見ますと、小一女児を虐殺するに至った異常な小児性愛という行動が注目されていますが、よくよく考えてみますと、何でこれほど児童ポルノが蔓延しているのか、悪質な児童買春事件はなぜ後を絶たないのか、こうした子どもたちの惨事を見れば、小林被告がこの社会からまったく異質な存在とは思えないのです。
 むしろこの事件を契機に、市民は情状鑑定の記録を冷静に検証したらどうでしょうか。子どもが巻き込まれる凶悪事件が相次いでいますから、これからの首長選や議員選挙で「子どもの安全」をマニフェストに掲げる候補者は多いと思います。そうしたときに防犯一色になりがちな世情にあってぜひ、見落とされがちな人権というものを考えてほしいと思います。
 奈良市で起きた凶悪事件を前に私は「自治体の仕事は人々の不幸を防止する仕事だ」とますます痛感します。自治体業務で民営化すべきところはしてある程度スリムになって頂くのも結構ですが、とりわけ重要な自治体の職務は何だろうと考えたときに私は「非効率的でかつ市民の要望が高い分野」と位置づけます。つきつめれば、防災と救急が該当するのではないでしょうか。
 救急はもちろん交通事故などでの救急だけでなく、後れている小児科の救急や精神科の救急の体制を拡充することは自治体の重要な責務であります。

■変化に対応できる自治体

 自然災害などはいくら訓練を積んでも想定できない事態に遭遇するのであり、どんなにすぐれたマニフェストをつくっても、想定外の自治体の仕事はいくらでも起こるわけです。では、こうした変化に対応できる首長や議員の資質を有権者が選挙の投票前に見抜くにはどうしたらよいのでしょう。そのひとつの方法として、公開討論会による抜き打ち的な質問にどの程度の回答ができるのかによって、ある程度の目安になるはずです。公開討論会とマニフェストは、地方選を活性化される両輪だと思います。
 奈良県内では最近の重要な二市の市長選でいずれも現職が公開討論会の出場を拒みました。大変、残念なことです。
 では、議員選挙の公開討論会は無理なのでしょうか。私はそうも思いません。たとえば奈良市では議員の定数が四十数人。はなから無理という意見が聞こえてきそうです。しかし定数の多さであきらめてしまわず、どこかの地域で公開討論会の開催に手を上げてほしいものです。候補者の居住地をもとに擬似的に小学校区ごとなどに区切って開催するのも面白いと思います。マニフェストだけでは、有権者が候補者の資質を見抜くのは難しいのです。
 そもそも議員間の争点を浮き彫りにするために、市域を小・中学校区などをもとに小選挙区を設けた方がよいという意見もあるでしょう。ただしそうなると、大組織や政党の支援がある候補者が有利となり、本日の受講者の方々のように、大組織の支援はないが市民感覚を有している方々の立候補、まさに地方選ならではの特色が薄れてしまうようにも思われます。ですが議員選の公開討論会はいろいろな工夫でぜひ実現させてほしいものです。
 「変化に対応する自治体」という視点で、私自身、とても印象に残っているのが、鳥取県の片山知事が初当選直後、県内で大地震が発生した際、県費で個人の被災者に対し救済したというこです。当時、個々の被災者を助けるために公費でこのような支出をすることは国も自治体も前例がありませんでした。変化に対応するというのはまさに、こういう仕事だと思うのですが、片山知事は法律に強く、こうした措置が違法でないことを確信したゆえに素早く実行したと評されています。
 有権者は一人の首長を選び、よって独任制といわれ、多様な人々の合議体である議会とはまったく基盤がことなるのですが、日本ではそれぞれ違うものが二元代表制という自治の政治システムを構成し民主主義の基盤を成しています。しかし、いざ大災害が発生したときに、いくら民主的は手続きが大事といっても到底、臨時議会を召集して災害対策を議決する時間はありませんから、住民は事前に首長というリーダーを選んでおくわけです。以前、茨城県の東海村で原子力発電所の大事故が起きたとき、当時の村長は国のマニュアルに基づかずに自分の頭で行動したことで被害が最小限に食い止められたという指摘がありますね。
 日本型の二元代表制は、議会制民主主義の先進国で注目されることもあります。伝統的に議会からリーダーを選んでいる国で、例えばロンドンでも有権者の直接投票による市長選が試みられたし、私が98年に訪問したドイツのノルトラン・ヴェストファーレン州のある市でも近く首長選を試みるという話を聞きました。

■争点を発見し市民に公開する議員活動

 日本国憲法が保障している二元代表制というもの、確かに住民には分かりにくい側面はありますよね。私も奈良県に住んでいて、なにゆえ地方議会という存在は、地域住民の意思と乖離した存在なのか、なぜ必要なのか、分かりにくい…などの声はよく聞くものです。
 ですが、先進地の議会が積極的に取り組んでいる議員立法などに接しますと、二元代表制は当面、温めてよい制度ではないかと感じます。
 最近、印象に残るのは北海道の栗山町議会が日本で初めて議会基本条例とうものを制定したことであり、議会の基本ルールを議員たちの提案でつくった画期的なものでしょう。とりわけ、首長に「反問権」を認める条文はユニークです。議場のやり取りはとかく、理事者側に質問することが本旨のように運営されてきましたが、―奈良市では、職員に質問を作ってもらう議員もいました―首長の反問権を認めることで議場の論議が活性化することを想定しているのだと思います。
 さらに栗山町議会は、議員同士が討論するという新しいルールも条例で保障しました。道央の夕張市の近くの人口1万4000人の小さな自治体だそうです。冒頭私は、条例づくりに困難を極める小規模な自治体の事例を出しましたが、小さいゆえに改革のスピードが速い自治体が存在することも事実であります。この議会がこれからの地方自治の未来に向かって発信したことは、諸政策の争点を発見し公開することの大切さであり、多様な地域の民主主義を生み出す力になるのでありましょう。
 議員提案の条例では、和歌山県議会が森林保全の条例を講じたそうですね。恐らく県民税に年間数百円を強制的に上乗せして森林保全の費用を徴収するのでしょうが、歳入の構成に議会が直接権限を行使することは注目に値します。
 他に近隣では三重県の四日市市議会は議員提案で自治基本条例を制定していますが、条例の文言を「です」「ます」調にして市民に身近な条例をつくったようですね。
 私が奈良県内の議会にまつわる調査報道で力を入れてきたのは、議員と公共事業の癒着をはじめ、議員の公費観光旅行や費用弁償問題などであり、議会の課題を報じることが多かったのですが、本県でも市民派の議員が少しずつ増えてきましたから、いずれ先進的な議員立法の条例がこの地から生まれると信じています。
 これからも全国各地ですぐれた議員提案の条例がお目見えすることでしょう。ただし、議会の本来の職務である行政への監視を怠ったまま、市民ウケするような格好のいい条例づくりに奔走することになりますと、本末転倒だと思うのです。議会は一に監視、二に監視、三四がなくて五に監視というくらい、議員の監視活動は大事でありますが、真に建設的である批判やまともな監視であれば、おのずと政策提案する力は備わってくると思うのです。
 以前、全国市議会議長会の事務方の役員は逆に「ある程度の政策提案力がないと行政の監視は限界があるのではないか」とも言っておられます。これも興味深い視点です。
 2000年の分権一括法後、議員の条例提案権は要件が緩和され、それまでは議員定数の8分の1以上の議員数でしか提案できませんでしたが、12分の1以上で可能になりました。ですから小さい議会ですと二人ほとの議員さんで会派をつくって条例が提案できそうですね。たとえば男女共同参画を実効あるものにする条例案をマニフェストに掲げることができますし、実際の議場で提案した際には、反対した議員、賛成した議員を実名でビラなどで住民に示してもらえらよいと思います。
 
■受身の自治体に移譲しても期待できない

 いまある制度を使いこなせていない自治体や議会は、これからいかに税源の移譲が進んだとしても、期待できません。いかに権限が移譲されても同様です。分権改革において財源と権限を地方に移譲することは重要なことですが、受身の姿勢であれば大した進展は期待できません。壁を破って進むような体験や着想がなく、上から与えられたような分権であれば、先ほど申し上げた「変化への対応」は難しいと思います。
 たとえばいま、不交付団体といわれる自主財源が豊かな市町村ほどすぐれた改革を進めているのかといえば必ずしもそうでない。税源の移譲は素晴らしいに決まっているが、地方交付税を一円も受け取らず運営されているような市町村、―ひとつの典型は原子力発電所の誘致を進めた自治体であり、奈良県でもダムがある村は固定資産税の収入が多く、ダムがない村より自主財源の比率が高い―、そうした財源が豊かな市町村は、そうでない自治体より先進的な改革を進めているのかといえば必ずしもそうではない。やはりいま、チャレンジしていなところの将来が厳しいと思うのです。
 本日のテーマに即し、分権社会に重要な自治体の「課税自主権」に触れることにします。
2000年の分権一括法施行により、自治体には独自の法定外目的税の創設が認められるようになり、先ほどお話した和歌山県議会が講じた森林保全のための新税もこれに該当すると思います。和歌山県民だけから徴収した特定の税を県内の森林保全に限定して充てるというやり方ですね。
 私も、分権一括法が施行されたその年に法定外目的税に関する論文を書いてみました。所得税(国税)の配偶者控除は性別役割分担を前提にしている税制であるおそれがあるからこれを廃止し、その分すべて地方の男女共同参画のための財源として移譲せよという内容でした。知人らの賛同はほとんど得られませんでしたね。配偶者控除を止めたら男性のサラリーマンは一時的に増税になるのではないかという見方もありましたし、憲法が保障する「健康で文化的な生活を営む権利」は専業主婦にも保障されるべきとして配偶者控除の廃止に反対する意見は、私がこの論文を書くずっと以前から出ております。
 いずれにせよ、その地方らしい独自の税制をつくってほしいですね。国内で最初に法定外目的税の課税自主権を行使した府県は三重県であり、「産業廃棄物税条例」です。最終処分場に排出する業者や中間処理業者が納税義務者だと思いますが、一トン当たり千円程度の税を徴収し、三重県内の環境保全に使うという目的税で、県外から持ち込まれる産廃日本一という状況を打開したいという前北川知事の意向で創設されました。
 国に先駆け、自治体が先行している状況、この分権的状況を指して当時の北川知事は「一国二制度的な状況」と言い表しました。しかし、これは三重だけの取り組みとしては終わらない。隣県のわれわれも三重が産廃の排出に厳しいそんな課税を始めて、奈良に持ち込まれる産廃が増えたら大変ということで、似たような税を講じることになるのです。そして全国各地に広がっていく。一地域が発信したことが次第に広がっていく状態ですね。国が強制的に指導し、課税の制度をつくったのではありません。分権社会の特質が現れています。
 さてここで、2000年当時に東京都が外形標準課税を応用した銀行税の創設に取り組みますが、これも課税自主権の観点では興味深いことでした。とりわけ都内の資金量5兆円以上の企業を対象に新たな課税を試みようとしたものでしたが、該当する企業は金融機関しかないので銀行税と呼ばれたわけです。しかし課税を違法とする銀行側が提訴し、都は負けるのですが、特定の業種を狙い撃ちした税は課税の原則に反するという指摘がなされました。
 けれども資金量5兆円以上ということに着目すると、これは「担税力」への視点で見つめると、社会の平等を達成する課税手法と言えなくはないでしょう。累進課税という社会のルールも想起するわけです。憲法の観点から税法の問題を探り功績がある学者も、このたびの裁判では都を支持しました。
 ここでひとつ、考えてみてください。先ほど、紹介した産業廃棄物税は、特定の業種を狙い撃ちした税ではないのでしょうか。まずこの税を負担するのは排出業者ですよね。しかし環境という大きなうねりがあって、多くの人々が支持している税制です。ただはやり、銀行税との接点はどこかにあるように思います。
 どちらも素晴らしいのは、自治体のトップが、あるいは税務担当職員が自分たちの頭で考え出した新税だということです。仮に、どこかの自治体で「この新税には問題がある」と住民が思うのであれば、議会で否決する議員を送り出したらよいし、あるいは住民は知事や市町村長のリコールに向けた直接請求を行うこともできる。自治の力の源泉は住民にあるのです。
 この課税自主権のうねりの中で、私自身がもっとも注目したのは東京都の杉並区のレジ袋税の構想でした。と申しますのは、この税は有権者に対し区長が直接、ごみの排出を抑制する新税を投げかけた点が重要であると思うのです。この間、提案されてきた自治体の法定外目的税と言えば、産廃や高速道路の大型車両の通行、湖面のレジャー利用、公営ギャンブル、別荘など、いずれも外から来て地域の環境に負荷を与える行為に重点が置かれてきました。しかし杉並のレジ袋税の納税者は、レジ袋を用いた消費者全員。有権者うけがするものではないが、長の信念というものが現れているでしょう。大変な反対運動も起きたようです。他の区と境界にあるような商店、スーパー、コンビニエンスストアなどは、レジ袋税を徴収をしない近隣の区の店に客をとられてしまうだろうと相当懸念したそうです。
 杉並の山田区長が過日、三重県主催の自治振興行事の論客として招かれたとき、レジ袋税に反対する商店主らが区役所に大勢押し寄せ、カウンターのすぐ向こうで大声で抗議するようすに「恐怖心さえ感じた」ともらしていました。
 状況はちがいこそすれ、市町村の職員や幹部であれば似たような経験をお持ちの方もいらっしゃると思います。そもそも市町村は、住民に身近なサービスを提供しており、職員はかなり以前から名札をつけて仕事をしています。ある市で職員が首から名札を下げ、ぶらぶらさせているのを初めて見たとき、暑苦しいのではないかと少し同情しました。県庁の職員が名札をつけるようになったのはずっと後のことです。
 住民サービスの改善に向けて名札をつける歴史が早く、住民にとり身近な政府といえる市町村こそ、もっと大きな権限を有して分権時代の担い手になってほしいですね。分権は「市町村主義」と言い換えることもできます。
 いま私の住む奈良県内を見渡せば、奈良市は2002年に中核市に移行し、さまざまなまちづくりの分野で知事と同格な権限を有していますが、これに次ぐ中核市は生まれていないし、特例市にいたってはゼロという状況です。市町村はいま、人口が20万人規模になると特例市として公害の監視面などで相当な権限を有することができますが、せめて10万人規模の市町村に特例市の権限を渡したいと願います。そのためには地方自治法の改正が急務です。地方から声を上げていきたい。
 いまの制度のように、人口を指標に半ば機械的に権限の大小を決めるのでなく、やはり、自治体のやる気と能力というものがもっと評価されてよいのではないでしょうか。

■民間病院への行政指導を開示した自治体

 では、情報公開の課題に話を進めます。私自身、新聞記者の中では積極的に行政文書の情報公開制度を活用している部類でしょう。体験談はいまここに、新聞協会の雑誌に寄稿した論文の抜き刷りをお持ちしたので参考にして頂ければと思います。とりわけ、この論文で取り上げた奈良県、奈良市の制度は、先進地ではありませんので、私が言及した課題はそのまま、先進地でない地域の方々の何かの参考にしてもらえると思います。
 これからの行政文書の情報公開の争点のひとつは、営利企業の利益を保護することを優先して非公開に重点を置くのか、あるいは、公開がもたらす地域社会の公益を重んじるのか、天びんにかけた場合の行方です。
 重要な問題のひとつは、病院に対する自治体の医療監視の結果を公開するのは是か非かということです。私の知人に、精神障害の子を持つお父さんがおり、彼はこれまで精神科病院の処遇の改善に向けて鋭い指摘をしてきました。彼は精神科病院に対する奈良県の医療監視結果や行政指導事項についての情報公開請求をしましたが、民間病院に関するこれらの情報は不開示でした。鍵のかかった閉鎖病棟で患者の人権は守られているか、違法な身体拘束はどの程度発生していたのかなどの事項です。県が不開示にした理由は、民間病院の競争上の地位を損なうなどのものでした。県立と国立の医療機関に限り、公開されました。そこで彼は不服申し立てを行い、審査会は公開を妥当とする画期的な答申を行い、県は答申を尊重して開示に踏み切ったのでした。民間の精神科病院に対する医療監視事項を公開したのは、都道府県としては島根に続き二例目です。
 こうした判断はそれぞれの自治体に委ねられており、そこも分権的状況なのでしょうが、風通しのよい病院を育てるという意味では、市民社会の公益というものをじっくり検証してほしいものです。
 市町村であれば、消防法に基づいて民間の商業施設などに対し実施した立ち入り検査の事項は公開するのかどうか、注目されますね。市町村により判断が分かれてくるでしょう。
 いずれにても、このたびの精神科病院にまつわるケースは、ひとりの市民の行動が制度を動かしたわけです。実は、奈良で公開請求するのは結構勇気がいるものなのです。と申しますのは以前、公開請求した人の氏名を役人が安易に外部に漏洩するという事態が奈良県、奈良市、上牧町などで起きています。
 公開制度をめぐる最近の注目すべきことは、最高裁が昨年10月、公共事業の用地買収に関し、相手方の氏名と価格を公開することが妥当という判断を示したことです。まさに個人情報の保護と公開による社会の公益が天びんにかけられ、公開されたのだと思います。
 昨年、個人情報保護法が施行されましたが、これを表向きの理由としてどれだけ多くの重要な公共的な情報が過剰に隠されているかとても心配です。その典型が、昨年の尼崎のJR脱線事故の発生直後、安否を気遣う家族からの問い合わせに対し医療機関が個人情報の保護を理由に搬送者の氏名を回答しなかったという事態ですね。あまりにも四角四面な対応であり、厳しい批判が出て、多少運用が変わったのだと思います。冒頭、申し上げた「変化に対応する」という視点では、列車の大惨事の報に際し家族がどんな思いで病院に問い合わせをしているか、その気持ちを思うと、個人情報保護は柔軟に運用してしかるべきものでしょう。
 振り返ってみますと、市町村の重要な歳入を構成する固定資産税の路線価も役所は「個人情報だ」といって長らく、公開しませんでした。ですから、公開されるまでの間、納税者は自分に賦課された税額が妥当かどうかを判断する情報をほとんど得られませんでした。
 理にかなった個人情報の保護は推進してほしいですが、お役所のご都合主義的な個人情報保護は厳しく検証する必要があります。

■議会は外部監査に負けていいのか

 いまマニフェストがブームのようですね。実は昨年、地方選でマニフェストを推進しようという市民集会が開かれたときに、汚職事件で摘発された宝塚の前市長もパネラーとして建設的な発言をしていて、いま思えば彼の分裂した自己というものを垣間見る思いですが、マニフェストはブームなのだと改めて思います。政治家にとって自分を格好よくみせようとするツールにもなるのだなとも思います。
 公約を達成する期限や原資にする財源などを明示したものですが、次第に浸透しており、ある意味ではとても精緻になり、いずれ専門の請負業者ができるかもしれないなどと憂慮してしまいます。冒頭では条例づくりの丸投げ自治体の話をしましたが。
 大切なのは、候補者が当選した後にマニフェストの達成度合いを有権者が容易に検証できるかどうかということです。多くの有権者が当選後の首長の評価を気軽に行えることが大事です。そこはオリジナルの勝負でしょうね。
 候補者の中から一人を選ぶ首長選とは異なり、地方議員のマニフェストとなりますとなかなか前例がなく、試行錯誤の段階のように思われます。いまちょうど、「ローカル・マニフェスト大賞」の応募が繰り広げられまして、議員さんや議会の会派にすぐれたマニフェストのアイデアを寄せてもらい、議員マニフェストの推進につなげる取り組みですね。この秋にも優秀作の発表があるかと思いますが、そのときにはぜひ、よいものはどんどん真似をしてほしいです。受講生のみなさまがこれから女性政策などを提案する際にも、きっと力になるアイデアが出てくることでしょう。
 ここにいらっしゃる方々はジェンダーの問題に鋭い視点をお持ちですから、公共事業の発注に関するポジティブ・アクションにも着目してほしいです。入札の参加資格は、技術力や受注実績などを重視していますが、各企業の女子の再雇用制度や育児休業制度の推進度合いを加味してよいと思います。工事だけでなく備品の購入や役務の発注も同様です。
 議員とは一に監視、二に監視と先ほど申しましたが、たとえば任期の4年間をかけて選挙区内の全事業所の女性の就業状況や障害者の雇用率を調査するなどの公約も、議員らしいマニフェストになると思います。それと、すぐ実行する公約と1年後に実行することと、4年かけて実行する公約などとを分けて埼玉県の知事がマニフェストに書いていましたが、それも誠実でよいですね。
 政治家の方々に申し上げたいのは、理念としては実行したいが現実にはすぐできないこと、それをもっと率直に有権者に伝えてほしいと思います。そこは公開討論会でぜひ、市民の側からも引き出してほしいことなのです。
 首長が進めるマニフェスト運動の中で印象深いのが岐阜県多治見市長の取り組みでした。 
それは、マニフェストの作成は現職に有利な状況下にあって、新人の候補も不利にならないように、新人候補がマニフェスト作成のための情報公開を市役所に求めたときはすみやかに誠実に応じる要綱を作成しております。
 冒頭、この女性議員のバックアップスクールで講師を務める現職の議員たちは、目の前にライバルが座っているかもしれないが女性政策の推進という大きな目標があるゆえ惜しみなく新人が当選するための講義をしている旨を申し上げましたが、この多治見市長も、自分も含めだれが市長選に当選するのかということよりも、多治見という地域をよくするのだという理念があったのだと思います。
 埼玉県志木市の前市長の穂坂さんが現職のころ、提案していた市街地の道路の一方通行の推進という施策もユニークでした。道路事情が悪いと、福祉サービスの移送車両の通行にも影響が出ますが、一方通行は一般のドライバーには不便で不評。しかし歩道が広くなり自転車も通行しやすくなって、交通弱者にはありがたいものです。どちらがよいか、最終的には有権者である住民の判断が左右するわけですね。
 さて、中核市や政令市、都道府県は近年、地方自治法に基づき、外部監査を行う義務が生じています。もしも、議会がまともに監視活動を展開していたら、外部監査の制度を創設する必要はあったのでしょうか。年間、1千万円とか2千万円とかの費用を公認会計士などの外部監査人に払って監査をさせる制度であり、弁護士なども交えた数人のチームが半年から1年ほどかけて特定のテーマを調べ上げ、結構よい監査も行われています。奈良市でも土地開発公社や補助金などの分野で厳しい外部監査が行われてきました。しかし指摘を受けた部署がこれを真摯に受け止め、改善につなげているのかいえば、必ずしもそうではありません。せっかくの外部監査報告書がホコリをかぶっている部署もあるのです。
 まして議会が日々の監視活動において、外部監査に負けるようなことがあってはならないでしょう。外部監査に負けるのは恥であり、議会の強力なライバルと認識してもらいたいですね。また外部監査の指摘事項を行政はどう生かしているのか、これも議会の側からチェックしてほしいです。
 ところで多くの自治体でいま、地方税の累積滞納額が増大していますが、財政の監視を強化しようとする立場から、徴収率を1パーセントでも上げさせるという公約を掲げる議員候補者が増えてくると思います。しかし差し押さえを含む徴税対策が強力に推進された場合、弱い滞納者に集中するおそれはないのか、本当に公平な滞納対策なのか、そうした視点に立てるのはまさに本日の受講者のようなみなさまではないでしょうか。
 最近では行革に熱心で利権とは無縁な市民派議員も当選するようなり、厳しい徴税対策を迫る若手の議員は増えていくことでしょう。ですが、まずは滞納の具体的な状況というのを4年間かけて洗い出していくというこも、議員の重要な職務であります。たとえば、滞納者の多い固定資産税(市町村税)などは、所得の有無でなく、保有する固定資産に対し税金がかかりますから、一度、滞納すると雪だるま式に滞納額が増え、税の公平という観点からも深刻な事態になっています。ある自治体では、滞納世帯には高齢者の祝い金も渡さないという話を聞きました。それは何だか、行き過ぎのようにも感じます。シャウプ博士の「不幸を防止する自治体の仕事」という言葉を思い出してみてください。
 税を滞納せざるを得ない人の不幸というものをもっと深く見つめてよいのだと思います。市民の幸福の感じ方に耳を傾けるような議員を目指しほしいと願います。
 要は悪質な滞納なのか、仮病の滞納なのか、リストラなどによる不幸な滞納なのか、よくよく見極めてほしいものです。これは地道な訪問調査活動なくして把握できませんから、非効率的な仕事の分野に該当しますね。ですが滞納者が所有する高級外車や絵画など、人間の生存と直接関係ないものはどんどん差し押さえ、公売すべきであります。そうでなく、弱いところに集中する滞納対策が進行するのであれば賛成できません。
 かつて、滞納整理を担当していたある市町村職員から「自分たちは機械的に滞納整理の数字を上げる存在でなく、滞納せざるを得ない人の生活提案ができるような職員になりたい」という声を聞いたことがあります。これからの議会は人間らしい徴税対策のあり方を研究し提案してほしいものです。
 
■市民がつくるマニフェスト運動
 
 奈良市では2年ほど前から「市民がつくるマニフェスト運動」という新しい市民運動が展開されています。これは奈良町の景観形成に努力したNPOリーダーの木原勝彬さんが提唱したもので、ふつうマニフェストといえば立候補する人がつくるものですが、この運動は市民が「私が市長だったら」「私が議員だったら」という発想で公約を「逆提案」する運動なのです。公約集は数十ページの冊子にもなっています。福祉から環境、財政など市政の全般を網羅しています。
 市民は分権社会の主権者であり、これまでのように陳情・要求型のお願いをするのでなく、
一人ひとりが公約をもってよいのです。それは「私たもできるところからまちづくりの実践を始めよう」という互いの約束や決意があり、「協働」という言葉に集約されるでしょう。私も賛同者の一人であり、公約づくりに参加しました。
 この運動を通して、さまざまな職域の参加者からいろいろな提案がでてきました。正倉院展を通年開催し奈良の観光を活性化させる、土地開発公社が保有する塩漬け土地を都市林として再生する、不透明な団体補助金を廃止して市税の1パーセント分を市内NPOの効果的な活動費として交付する、中学生でも分かる予算書・決算書を作成する、などの提案はほんの一部です。
 木原さんの狙いのひとつは、市民運動の結節点だといいます。奈良市内には、環境や福祉、まちづくりなどを推進するボランティア団体、すぐれたNPOがたくさんありますが、団体同士のつながりは希薄な側面があるとの印象を持たれてきました。しかし、この市民版マニフェスト運動においては、福祉や環境を得意とする人も市の財政に関心を寄せない限り、マニフェストは書けないわけです。逆に、市の財政にくわしい人も、福祉や環境、まちづくりの豊かな提案を迫られる。いわば市民団体が協力し合って市民一人ひとりの総合力を高める運動ですね。
 この運動の延長で昨年から、「市民の森ゼミナール」という自治・分権・協働を学ぶ市民講座が開催されていますが、昨夏には、議会改革もテーマになりました。そのとき、議員立法にチャレンジしている三重県議会の副議長を講師に招いたのですが、「有権者が選んだ首長のマニフェストを議会はなぜ否決できるのか」という視点についての解説もしてくださいました。それは、有権者から直接選ばれ多様な人材で構成する議会の合議は、首長のマニフェストより優越するという民主主義の解釈でした。
 さて、問題は私たちの議会が多様な人材で構成されているのかどうかです。市税、県税の納税者はサラリーマンが圧倒的に多いのに、議会の職業構成は偏っていませんか。会社員が退職しなくても立候補でき、一定の議会活動が終了したら容易に職場に復帰でき地位も保全される、そんな制度を一刻も早くつくらなければなりません。
 最後に、奈良県内のある市町村で孤軍奮闘する女性議員の声を紹介し、終わります。
 「初めて当選して『おかしいな』と感じたことも、慣れるとあたりまえになってしまう。言論の府でありながら、議会は自由にものを言えないところだ。いつも私はおどおどしてしまう。でも自分に気合いを入れて、がんばって発言しています」

                                 

※講演録に加筆・修正をした。




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