「芸術と自治体―文化ホール乱立の時代に」


 
 <2006年11月 奈良県公立文化施設協議会主催の職員研修で浅野詠子が講演した>                             

■はじめに
 
 昨年私は、新聞連載「文化ホール展望―財政危機と住民参加」に取り組み、これがきっかけになり本日ここに招かれました。
 この連載の狙いのひとつは、このおよそ10年における自治体文化ホールの建設ラッシュにおける重大な背景として、建設資金の相当部分が地方交付税で充当されているという事実を明るみに出し、まずは建設の成り立ちを冷静に見つめようということです。
 多くの県民は恐らく、地方交付税と言えば山村など税源の乏しい自治体が都市の住民と同等な行政サービスを受けるための原資という理解をされていることでしょう。もちろん、それが交付税の主要な役割ですが、総務省が主導してきた「地域総合整備事業債」(地総債、現在廃止)という制度は、文化ホールなどの箱モノ建設に伴う資金の約半分程度を地方交付税で自治体に戻します。つまり、自主財源が比較的豊かな都市部の自治体であっても、箱モノをつくるときに「地総債」を使えば、相当のお金が交付税で保障されました。
 このような制度に支えられ、狭い奈良盆地で文化ホールが林立するようになったのです。建設する目的が単に公共投資でしかないのなら、ひとたび自治体財政が悪化すれば削りやすい文化・芸術予算から切ってしまうといのは、火を見るより明らかであります。
 自治体文化ホールの本来のあり方は、質の高い芸術でしかも公演の効率は悪く採算が取れない分野を、住民から広く薄く集めた地方税を生かして運営するものだと私は考えます。最近は、民間企業やNPOが自治体ホールを経営できる「指定管理者制度」が導入されましたが、優れた直営ホールのいくつかは生き残ってほしいですね。それと、指定管理者制度の特徴を十分に活用するならば、なにも遠い東京都にお金が落ちるような法人に経営を任せなくてもよいのではないか。本県内の直営ホールのうち、力のあり余っているホールが苦戦しているホールを支えるようなかたちで指定管理者になるのはどうでしょう。奈良県全体の芸術力が高まるのであれば、そんな選択肢もよいのではと思います。指定管理者制度の長所、短所というものをいま一度、冷静に見つめたいものです。と申しますのも、国が自治体に推奨した箱モノ建設の「地総債」などは維持管理費用の支援があるわけでなく、相当な問題を残していますから、まるで「ポスト地総債」のように国が講じたこの制度には即座に飛びつく気持ちにはなれません。
 
■市民力を発揮しているか

 文化庁が以前に実施した観賞ニーズの動向調査では、トップは美術でした。2位は演劇、そして3位は映画。ようやく4位にクラシック音楽がくるのです。
 ではなぜ、私たちのまちは音楽中心の文化ホールに投資の比重が高いのか。住民の素朴な問いかけに対して、強力な回答ができない自治体が相当あるのです。 「何のための文化ホールか」という明確なメッセージに乏しい。これこそ、いまの自治体に問われるところでありましょう。
 仮に美術の分野に自治体文化政策の予算の比重が高いとしたら、まちづくりとの関連で住民に説明しやすいかもしれません。住民の美意識の方向によっては、高速道路は地下化が促進されるでしょうし、屋外広告物条例の運用に対する眼も厳しくなっていくでしょう。学校給食の食器のデザインひとつとっても美術と関係していますね。
 音楽中心で悪いということ決してありません。しかし本県内の自治体はせっかく文化ホールに巨額の投資をしながら、自主事業に積極的な市町村は少なく、プロモーター任せの興行に陥りがちな上、乱立のあおりで各ホールの利用率は低迷しています。
 「このままでいいのか」と住民が問いかけたとしても、たいてい行政の側というものは「住民のみなさんが直接、投票で選んだ議会が議決したことです。住民の意向を反映しています」などと、聞く耳を持たないでしょう。議会中心の間接民主主義をもって住民参加は事足りるという訳です。
 ところがですね、その地方議会の構成を見ますと職業に著しい偏りがある。納税者の80%近くは会社員なのですが、議会はそうではありません。まして奈良市議会をはじめ多くの議会が昔から建設業の議員の比率が高いですから、箱モノ建設の促進には熱心であっても、その中身の芸術のあり方は議会でほとんど問われなかった。ですから、文化ホールの改革は議会改革と両輪なのです。もしサラリーマンが社内の地位を失わずに一定期間、自治体の議員活動ができるようになれば、地域の文化・芸術政策は大きく変わるように思います。
 ところで近年の首長選では、深い芸術論議なしにホールの建設投資額の大きさ、あるいは維持管理費の大きさだけで敵方を攻撃するという事態を、いくつかの市町村で見受けました。建設ラッシュと申しましたが、この中には首長が熱意を込めてつくった文化ホールもあるわけですが、建設後の首長選挙において敵方の陣営が「文化ホールは税金の無駄遣い」と納税者のウケのよい言葉で手厳しく非難し、これが直接の勝因かどうかは分かりませんが、ある新人候補が当選たのです。この新しい首長は、政敵がつくったホールはも愛せないようで、「ホールの運営に力が入らなくなった」と地元の音楽家が嘆いていました。
 税金の無駄遣いという指摘は、公共事業のばらまきが目的で建設し文化ホールの経営哲学がないときには妥当ですが、政敵がつくったものは愛せないというような首長の姿勢では、文化を享受しようとする住民には不幸なことであります。たとえ明日、首長が交代しても、動じることなく輝いているホールかどうか。市民とともに経営しているのかどうかが問われますが、今日のキーワードで申せば「協働」という概念です。市民力というものを自治体はどれだけ発掘しているでしょうか。市民が深く参画しているホールであれば、長が交替しても、そう簡単にはゆるがないと思うのです。市民の知恵の総力を上げてホールを育てたいものです。

■「奈良らしい」音を365日

 では具体的な提案をします。徳島市に出掛けて感心したのですが、阿波踊り会館というところでは365日、阿波踊りを鑑賞することができるのですね。踊りが本番の八月だけでなく春夏秋冬、いつ徳島を訪ねても「徳島らしい」芸能にふれることができる。奈良県はいま、これだけの文化ホールが林立してきましたから、365日、県立・市町村立のホール持ち回りで、どこかのホールで必ず「奈良らしい」音や芸能を奏でることを提案します。
 「奈良らしい音」…。それは雅楽でも、正倉院の楽器の復元演奏でも、そして能や狂言、人形浄瑠璃、農村に伝わる地味なお神楽でも、広範囲に私は想定しています。奈良発祥には厳格にこだわらず、歌舞伎や民謡もよい。和の音なら何でも、「奈良らしさ」と結びつけることができますね。
 365日続ければ、奏者や踊り手が育ち、観光客は音の心に触れて旅の満足度もきっと増すことでしょう。奈良を邦楽のメッカにする気概で試みてほしいものです。
 観光振興策と重なりますが、本県の自治体の文化政策は観光部局との連携は不可欠です。そうでなくても財政当局は文化予算を真っ先に削減しようとする傾向がある。付加価値のありようは大事であります。狭い奈良盆地に林立した自治体のホールが似たような洋楽の演目で競合するのでなく、箱モノの投資をもっとプラスに転じることはできないものかと考えております。
 無形遺産について、印象に残る話をします。古都奈良の文化財が世界遺産に登録されたのは1998年のことであり、奈良市は県の力を借りずにいわゆる“単独申請”に努力しました。いよいよ登録が実現するという前年、遺産保護のあり方をテーマに市民向けの講演会があり、奈良文化財研究所の所長だった田中琢先生がお話しされました。世界遺産の保護は従来、有形遺産を重視する欧米型の考え方が中心でまよね。田中先生は、昭和25年にわが国が文化財保護法を制定したときのことを振り返り、「無形文化財という制度を盛り込んだ先人は素晴らしい」と評価し、「アジアは自然と文化が切り離せない。これからは米国流に流されず、日本、そしてアジアの視点で遺産保護の提言をしなければ」と語られました。当時の筆記録の断片はいまも残しています。
 無形と有形の遺産が相補ってこそ奈良の文化財の真髄があり、「奈良らしい」音を絶えず響かせましょう。

■文化ホール起点のまちづくり

 「でも予算がない」と担当職員は真っ先に申すでしょう。これからは地方交付税は削減の度合いを増すだろうし、国庫補助金もそうあてにはできない。肝心な地方への税源移譲はといえばこれも期待できない。まるで自治の冬のような時代。しかし地方分権のうねりというものは確実にあるのです。自治体自らが文化予算の一部を創出するのだという強い意志があれば、公募債も発行できるし、文化政策の振興を目的とした「法定外目的税」の創設も分権一括法の施行で可能になりました。そして文化芸術に対する市民の純粋な寄付行為を税制とリンクして育てることも大切です。
 とかく文化政策を審議される先生方は、財政の観点で論じることを軽視されるでしょうが、地方分権そして財政民主主義の潮流はこれからの自治体文化政策と決して無関係ではないと考えます。
 まずこれからは、文化ホールを起点にまちづくりを進めてほしいと願います。最近の自治体ホールはどこも一流の建築家が設計しますから、とかくデザイン優先であり、少し進みすぎたようなやや前衛的な外形もある。そうした建物を地域になじませるためには、文化ホールの周囲をまず緑豊かに植樹し、それぞれの市町村の中で一番美しい公園にしてほしい。市民が近づきたくなる空間になると、きっと中の音楽を聴いてみたくなるものです。ですから公園緑地課の重点課題のひとつに文化ホールの周辺整備を位置づけるべきであります。
 奈良公園はだれもが認める美しい公園です。そこにある奈良国立博物館を思い出してください。あの建物は100年前、片山東熊という赤坂離宮を手がけた建築家が設計しましたが、当時は「バロック様式であり西洋風すぎて奈良公園の景観にそぐわない」という厳しい反対意見が渦巻いていたといいます。しかし100年を経たこの建物は、奈良公園に調和した堂々たる風格ですね。それを思えば、いまの文化ホールも100年ががりで育てる気概で、いつも100年先を見てホールを育ててほしい。
 このように、私はホールの「外」を結構、重視しているのです。身近な事例では、奈良女子大学の木造の記念館で昨年、ベートーヴェンのチェロソナタの演奏会が行われましたが、これも100年くらいの建物ですね。国も最近、気前がよくなったのか、あの重要文化財の建物を室内楽の演奏会場に開放しました。民間団体の主催です。木造の文化遺産でクラシックなどやると観客の満足も相当なものです。そして演奏が終わって外に出るとキャンパスの木立に見送られる。それに最寄りの公共交通機関の近鉄奈良駅まで歩いて五分ほど。大学を出て「東向北商店街」を通るのですが、歩いて気持ちのいい商店街です。歩道や街灯もレトロなデザインに改修しています。音楽を聴き終えてまだ夢の世界にいるころ、木立に見送られるのはいいものですね。
 奈良町の町家を会場にしたバイオリンの演奏会も良かったですし、私も橿原市今井町にある木造遺産「華甍」を会場に、知人らと地方自治をテーマに小さなシンポジウムを主催したことがあります。地方自治の課題という、とかく刺々しくなる題材を落ちいて語り合えた。地域の木造資源を会場にした音楽や色々な文化行事はニーズが高まると思いますが、そこは文化ホールの敵とみなさず、文化ホールのノウハウを積極的に提供して頂き、応援してほしいです。木造の地域資源と共存する関係を深めてください。
 公共の文化ホールの先進例などはインターネットで検索すれば瞬時に知ることができる時代ですが、奈良は奈良の成り立ちがあり、いまはそれぞれのホールの欠点を直視して、本日の協議会のような場で出し合うことも大切です。利用者や住民からホールの欠点や要望を積極的に聞きだして、それを公開し共有すれば自ずと解決策は見えてくるように思います。建物中心主義の欠点、演奏者中心主義の課題、多目的ホールの疑問などいろいろな課題が出くることでしょう。
 さて、直接の演目でなく、芸術を深く理解するための支援、いまふうな言葉でアートリテラシーでしょうか、そんな要望もきっと高いはずです。国勢調査などの結果では、自分自身の職業について「私は芸術家である」と名乗る人の割合が増えているとも聞きます。芸術家は首都圏に一極集中だと言う人もいますが、アートリテラシーの担い手になって頂ける地域の隠れた芸術家を発掘しましょう。
 ある休日、私は県新公会堂で奈良金春会の演能会に出掛けましたが、上演に先立ち能楽師の金春康之先生の解説がありました。印象深いのは海外公演にまつわるエピソードで、フランスと米国における能の鑑賞態度の相違について語られました。米国の都市では、「公演の前に詳しく能のストーリーを教えてほしい」という要望があったそうです。しかしフランスの方は、パリだったと思いますが、「公演前には一切、能のストーリーのような解説は要らない」と。ありのままを感じ取りたい…。そのような姿勢だったと思います。いかにも芸術立国のような風格ですね。どちらの国民の鑑賞態度も正しいのでしょうが、金春先生は米国流の鑑賞態度を支持しました。なぜかといいますと、能という芸術は筋を追うものでなく、能楽師が演じる心の動きをじっくり鑑賞してほしい、それゆえ、ある程度の筋書きというものを承知しておいてから鑑賞してほしい、そのように語られたと思います。
 このようなひとときに私はアートリテラシーの大切さを感じます。文化ホールはまちづくりの起点と申しましたが、文化と芸術の学校として発展してほしいです。
 この短い時間では語り尽くせませんが、本日の冒頭、質の高い芸術で採算の取れない分野を上演する自治体ホールの意義に触れました。いまは、ホールの累積赤字の問題に視点が集まりがちですが、一つの施設が赤か黒かということより、真に優れた文化ホールであれば周囲におのずと人や地域経済が集まり、自治体全体にとってはプラスの躍動的なまちを形成していく誘引になること、そこに私は期待します。近年は文化経済学というジャンルが注目されるようになりましたが、本日の私の話の半分くらいは地域経済を意識したものです。ご清聴ありがとうございました。

(司会)参加者のみなさんから質問をどうぞ。

(質問者) 先日、正倉院の復元楽器と舞楽の競演行事を催し、事前のPRにも努力したが、参加人数が少なかった。人を集める良いアイデアはないでしょうか。

(浅野)  400人の参加者がおり、成功だと思います。会場の県文化会館国際ホールは大きいので、観衆がやや少なく見えましたね。貴重な自主事業であり継続してほしいです。この秋は、伝統の和楽器や無形遺産にまつわる行事が数館で分散したので、参加者が少なく感じられたのでは。分散もよいことです。奈良国立博物館は正倉院展の開催に合わせ、博物館のホールで雅楽の演奏会をやりました、古代の美術と音楽の双方を鑑賞できる複合的行事は人々の関心が高いですね。

(司会) 最後にもう一言どうぞ。

(浅野)  私の知人は、マンションの室内を改造した音楽ルームを持っています。スピーカーはパラゴンで、大型の映像機器もある。世界の珍しい民俗楽器やスタインウエイのピアノもあり、トランペッターの彼を囲んで小さな音楽会も開かれます。先日は、パデレフフスキーの幻のDVDを入手したというので、友人らと鑑賞に出掛けました。ワイン片手にくつろげる空間です。文化ホールの公演はとかく窮屈で、仕事がある日などは息せき切って会場に駆け込み、しかも気に入った席が手に入らないようなときはむしろ、あのマンションの音楽ルームの方がよいと感じることがあります。この世界を公共のホールで探すなら、岩手県紫波町の野村胡堂・あらえびす記念館ではないでしょうか。音響の良い鑑賞ルームがあり、あらえびすが愛したレコードを気軽に聴けるのだそうです。 
 県内にもジャズやクラシックの名盤が相当眠っていることでしょう。図書館は本は貸してくれるけど音楽CDの貸し出しはなかなか行いませんよね。どこかの自治体ホールで空いている会議室などを改修して鑑賞専門ルームを創造されてはいかがでしょうか。

                              ※講演録に加筆・修正をした。
                               参照地方交付税の乱舞
                  ○…補記…○

 私の中学生時代のピアノ教師は、そのころ流行りかけていた市民ホールなどでの発表会を快く思わず、古い木造の洋館を好んで会場にした。客席の数が多い会場ほど「格が上」と決めつけていた私を、変えることになる。
 近ごろの自治体大型ホールの建設ラッシュに懐疑的になり、これから100年ぐらいは新規のホール建設を凍結して地域の木造資源と共存せよと私が主張するのは、思いつきの批判というよりは、遠い時代の感性にひきずられている。
 あの洋館は神奈川県大磯町にあり、第二次大戦までドイツ人高官の邸宅だったらしい。昭和初年ごろの建築で、ちょうど高畑に現存する志賀直哉邸と同じ時代を風雨にさらされ生き抜いてきた。弾き手の子どもたちをぐるりと囲む、なごやかなピアノ発表会が繰り広げられたあの日、突然、額縁の立派な絵画が落下し、聴衆の男性の頭部をどすんと直撃した。幸いけがはなかったが、予期せぬ滑稽な光景に思わず笑い声をもらしてしまう御婦人の姿もあった。
 先日は上野の森の近く、旧岩崎邸を尋ねた。明治29年(1896年)の洋館=重要文化財=はいま、東京都の管理の下に置かれ、週末には小さなコンサートが開かれている。チューバとピアノ、あるいは筝とマリンバなどの組み合わせも趣があり、近くの東京芸大出身の音楽家たちの発表の場になっている。建築したジョサイア・コンドルの門弟の一人は、本講演で少し取り上げた奈良国立博物館の設計者片山東熊。遠いえにしを引き寄せてうれしくなった。
 歴史ある建物が醸し出す独特の音響は、幾多の人々のなつかしい思い出になり、建物への愛着を育むであろう。わが心にも、あれから30余年を経てもなお、大磯町の洋館が灯る。 
 ところで、音楽観賞史の大きなの転換点は1937年、オペラの全幕がロンドンでテレビ中継されたときであると、ある音楽年表を見て知った。戦後の日本も音の再生技術は多様な方法を駆使して進歩し、いまや音楽鑑賞は人々の休息の重要部分を構成し、自治体の保健、福祉政策などとも密接につながっている。
 それゆえ、自治体の文化ホールは、実演による芸術の迫力を追求するホールだけでなく、名盤を心ゆくまで観賞できるような施設があってよいと思う。本県内の建設ラッシュにおいては、「隣にないものをつくる」という意気込みはあまり感じられない。本講演で「あらえびすホール」に触れたのも、そうした思いがある。
 あらえびすのように明治生まれの人で、しかも世を去ってそれほど遠くない人物にスポットを当てた施設は、どこか人間くさくて魅力的だ。さしずめ奈良ゆかりの明治生まれの偉人の一代記を博物館的に描くとしたら、私は最後の宮大工、西岡常一棟梁の世界を推薦する。もうすぐ没後20年になり、遺徳を語り継ぐ人々が地道に活動をしている。史跡豊富な奈良にあって、明治という時代を体感できる空間は少ない。いま市町村の文化ホールが低迷する中、思い切ってテーマを変えてみるというのもよいだろう。五重塔もバイオリンもピアノも「木」という共通のキーワードで探ると、何か面白いえにしを掘り起こすことができるかもしれない。そういえば、奈良女子大学の倉庫に眠っていた国産第一号のピアノは最近、再生されたばかり。ことし初夏には一般公開され、だれでも自由に弾くことができた。市民は思い思いに、100年の音色を楽しんだ。
 さて、本講演の終わりに登場するマンションの音楽ルームはさながら、まちの小さな文化ホールであるが、持ち主は決して高等遊民のような人物ではない。本職の税理士業務の傍ら、国や自治体の違法な課税を告発する「税金オンブズマン」の代表委員を長らく務め、しかもジャズからクラシックまで音楽への造詣は相当深い。こういう人にこそ、自治体は文化政策のあり方を諮問したらよいが、なかなかそうはいかぬようである。
                             (あさの・えいこ)

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